KING KAZU
こんにちは。
先日、プロサッカー選手の三浦知良選手が、『2021シーズンで前人未到のプロ生活36年目に突入する』という、記事を見て、驚きました。
僕は、三浦知良選手のように、ブラジルでプロの選手になることをめざしたのですが、プロにはなれませんでした。
プロとして、36年も好きなサッカーで活躍し、挑戦し続けられている姿を見ると、尊敬すると同時に、自分がサッカーをしていた頃にもらった勇気や感動を、思い出すことができました。ありがとうございます⚽
今日は、30年前にブラジルで、初めてKAZU選手の試合を見た時の事を、書きたいと思います。
1990年 サンパウロ州選手権 サントスFC vs パルメイラスFC
会場は、サンパウロ モルンビースタジアム。
クラシコとよばれる対戦で、野球でいうと、阪神対巨人の様なビッグゲームです。
留学して間もなく、サントスFCでKAZUという日本人選手が活躍していることを知り、その選手がクラシコに出場すると聞いたので、ブラジルで初めて試合を観戦しにいきました。
スタジアムに向かうため、市営バスに乗ると、サンチスタ(サントスFCのサポーター)で、車内はパンパン。車内を手で叩き、サンバのリズムをきざみながら、チームの応援歌を大合唱。圧倒されながらスタジアムに到着すると、ものすごい数のサンチスタと、でかい馬に乗り、ピストルや、警棒を持った警察官達がいました。
対戦相手のパルメイラスFCのサポーターの入場口は反対側。ブラジルだけではないと思いますが、熱狂的なサポーター達が喧嘩を起こさないよう、入口は必ず分けられていました。
収容人数66,795人のスタジアムは、8割ほど埋まっており、kick off 前のスタジアムはサポーターの応援合戦がさらに激しくなりました。相手チームへのヤジの飛ばしあいが始まり、少し怖い、異様な熱気に包まれていました。
各チームのスタメン選手の背番号と名前が、電光掲示板に映りはじめ、『11 KAZUO』と、映り出た時は、「すごい!かっこいい!」、「カズじゃなくて、カズオ?」と少し思いながらも、僕のテンションは興奮と、期待で上がっていきました。
後で解ったのですが、ブラジルでKAZU選手の名前は、『カズー』と発音されていたので、ポルトガル語で表記をすると、KAZUOとなっていたようです。
当時、海外でプレイしていた日本人選手は、ほとんどいませんでした。あの時代に、日本人が、ブラジルでクラシコに出場するということは、本当に凄い事だったと思います。KAZU選手がグランドに現れ、ボールを蹴る姿をみて、同じ日本人だと思うと、凄く嬉しかったし、感動しました。
試合開始直後から、相手陣地に、ガンガンに攻め込んでいくKAZU選手のプレイに、テンションが上りまくりの直後、KAZU選手必殺のフェイントで、ディフェンスを交わしながら、左ペナルティーエリア付近から撃たれたシュートがゴールネットに突き刺さると、サンチスタ達と、僕のテンションは最高潮に!と、同時に、スタジアムが揺れる程の地鳴りの中、「カーズー‼カーズー‼」の大合唱!!!熱狂と、強烈な一体感の中、僕のテンションは更に上り続け、気が付くと、ちょっと怖いなと思っていたサンチスタ達と肩をくみ合い、飛び跳ねながら、応援をし始めていました。
衝撃的な試合は、KAZU選手の活躍で、2-1でサントスFCの勝利。
この日から僕はKAZU選手のファンになり、サントスFCの試合は、欠かさずに観るようになりました。
数日後、サントスFC vs ゴイアスFC。この試合は、テレビで観ていたのですが、またまたKAZU選手がゴールを決め、チームは2連勝。
パルメイラスとゴイアスのチームカラーが緑色なので、次の日のニュースとスポーツ新聞には、『緑の殺し屋 KAZU』の見出し!!!
しぶすぎました。僕は、ますますファンになりました。
数ヶ月後、KAZU選手が、読売VERDY(現 東京VERDY)との、選手契約のため、日本に帰る事を知り、まだブラジルに来て間もなかった僕は、すごく寂しい気持ちになりました。
KAZU選手のブラジルでの最後の試合はサントスFCのホームグラウンドでした。勿論、応援にいきました。
試合が終わり、インタビュー後のロッカールームで、サインと力強い握手をして頂いた事は、今も最高の宝物です。
あの時もらった、勇気や感動を忘れないよう、今は自分の好きな音楽、これから始まるポルトガルでの生活に、挑戦し続けていきたいと思いました。
読んで頂き、ありがとうございます⚽
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