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かわら版No.50 草木塔のこころ

日頃よりお読みいただきありがとうございます。

おかげ様で、No.50。さのようへい「かわら版」は、米沢市議会議員活動報告として、情報発信と政治的な関心への呼応の一助として書いて参りましたが、書くことで、生かされている私自身がいることに気づきます。ありがとうございます。

今日は、私の研究※についてではなく、もう一つの“草木塔”についてです。
※私は、今現在名古屋大学大学院環境学研究科社会環境学専攻(地理学講座)に所属しています。研究対象は、米沢の石塔物の「草木塔」とこれを通じて米沢の精神風土の特性を捉えることです。

皆さんは、ご存じですか。自由律俳句の俳人として名高い、種田山頭火の一代句集『草木塔』を。これは、山頭火は生前、その庵、一草庵で句稿を整理し、第一句集から第七句集(私家版)までを集成し一代句集『草木塔』を世に示しました。昭和15年のことです。

中学一年生の国語の教科書で教わる「分け入つても分け入つても靑い山」は、句集・草木塔にある句です。山頭火がなぜ、句集の名前を“草木塔”にしたのか、それはわかっていません。山頭火自身の創作なのか、何かを参考にして名付けたのか、わかっていないのです。この謎も大切な問いですが、この点は、その専門の研究者に論を任せたいと思います。

要するに、米沢の石塔物の草木塔と山頭火の草木塔が関係があるのか、ないのか、それはわかっていません。ですが、この一致をどのように考えることができるか、石塔物・草木塔を調べながら句集・草木塔を調べることで何が見えてくるのか、その往復運動はできるはずです。

石塔物・草木塔をつくった人々の思いや考え、句集・草木塔をつくった山頭火の思いや考え、その前提にひろがる、そもそもある世界・草木塔のこころの方へ立ち入ってみたいと思います。

草にすわり飯ばかりの飯をしみじみ
草にすわり飯ばかりの飯

飯のうまさが靑い靑い空
ごろりと草に、ふんどしかわいた

草をしいておべんとう分けて食べて右左

あたたかい白い飯が在る ※私佐野が一番好きな句です。

山頭火の句を読んでいると、私がよく思いだすのが、その独自のアニミズム論で、地理学、文化人類学、民俗学、アジア文化研究に大きな影響をあたえた研究者にして碩学である岩田慶治さんの「ごく日常的に、やすらぎの場にいたる」という、言葉です。大きく飛躍しますが、私は直観的に、石塔物・草木塔をつくった人々の思いや考え、句集・草木塔をつくった山頭火の思いや考え、その前提にひろがる、そもそもある世界・草木塔のこころは、この岩田慶治さんの言葉が示す世界と、とてもちかしい関係にあるのでないかと思うのです。

いつか、私たちの故郷の米沢で、このまちの自然と文化、歴史と風土、生活が、日本の精神風土の中にあって、どのような潜在性と可能性を持ち得るのか考えて論証してみたいのです。

米沢市議会は6月定例会が始まります。難しい時代の中で、この米沢のまちについて、大きな視座を持って政治活動も取組んで参ります。米沢市民の皆様におかれましては、引き続きご指導ご鞭撻をお願いしたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

この度も最後まで読みいただきありがとうございました。

かわら版No.50


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