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偶然だったから、愛しいんだよ

わたしは音楽を聴く時、言葉と人を重視する。些細な事がきっかけでクラスでも部活でも孤立していた中学1年生のわたしを救ったのは、大好きなバンドの曲の歌詞と、そのバンドメンバーの生き様、人間性、バックボーンだった。姉の彼氏に買ってきてもらったフルアルバムを姉が使わなくなったCDプレーヤーに突っ込み、歌詞カードを片手にボーカルの声に自分の声を重ね、ネット上の記事やブログで知った彼らが売れるまでの道程と今の自分を重ねて、わたしは何回も何回も何回も何回も泣いた。誰にでも吐ける言葉そのもの より、そのメンバーたちが奏でる音や声であること がより一層輝きを増した。

その日1本目のライブを終えメンバーにまた後でね、と手を振ったわたしは、人身事故の遅延と共に最寄り駅へと揺られた。中学生の頃孤立した経験のおかげで、わたしは一人でいることに抵抗を感じない。好きなバンドのライブも、暇潰しに入るファミレスも、SNSで知って気になった映画を見に行くのも、基本全部一人。『押してください』の微かなタイムロスと、ウィン、という微かな音の奥久しぶりの匂いに吸い込まれるのも、一人。

本屋で目当ての本を見つけるのは難しい。出版社ごとに並べられているコーナー、作家名の五十音順で並べられているコーナー、文庫本の定義って何だっけ、あれこっちは漫画のコーナーだ、この作家の名前向こうでも見なかったっけ、わたしが探しているのってムラカミだっけ、ムラタだっけ?

スマホのメモに残していた気になる本リストの名前をひとつも見つけることができなかったわたしは、作家名が五十音順で並べられているコーナーの端っこに立った。あ行の作家からひとつずつ読んでいってみよう。そしたら、最後には五十冊の本が読める。そしたら、いくつ言葉をインプットできるかな。言葉をたくさん覚えられたら、もっと良い歌詞が書ける様になるも。

朝井リョウさんの「ままならないから私とあなた」にはOverというアーティストが登場する。わたしはOverと、わたしの大好きなアーティストを重ね合わせていた。

<人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない/だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があると思うんだ>(Dragon Night/SEKAI NO OWARI)

薫とユッコは正反対でありながら幼い頃からお互いを親友と称して、それぞれの正義を持ち続けたまま大人になった。ふたりの正義はどちらが正しい訳でも無く、さらに、どちらも正しい。大人になるまですれすれでぎりぎりのところをすれ違っていたそれぞれの正義が、ぶつかり合うまでの話。

中学1年生の夏、孤独と闘う日に給食放送で流れていたSEKAI NO OWARIを好きになったのも、適当に手を伸ばした本が「ままならないから私とあなた」だったのも、運命だとわたしは思う。思い込むことで自分を救う。自分は何も間違ってないよと教えてあげる。その隣にあった本が例えば数百年後にとんでもなく話題になる本だったとしても、この本を手に取ったのは何にも間違ってないよ。仲の良かった友達のLINEのアイコンが知らない人とのツーショットになっても、インスタグラムで後輩の結婚の報告を見ても、アイドルになったのは何にも間違ってないよって教えてあげる、みたいな。でもまあ、それはきっと、側から見たらただの偶然の重なりに過ぎなくて、滅茶苦茶にどうでもいい話なわけだけど、

わたしと君だってきっとそうだよ、例えばあの日ツイッターで見かけた画像がわたしじゃなかったとしたら、あの日あのライブに出ていたアイドルグループがわたしたちじゃなかったとしたら?

偶然だったから、愛しいんだよ
(朝井リョウ『ままならないから私とあなた』より)

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