211008
広尾のカフェでお茶をしていたらパリにいた日を思い出した。わたしにとってのパリはたったの五日でも確かに移動祝祭日だ。
やっと心に平穏が訪れたように感じる。わたしはこれからも生きていくのだなあと思う。
昼過ぎのカフェは知らない人々のおしゃべりで賑わっていた。わたしはただ、時々熱い紅茶を啜りながら、辺りを見るともなくぼーっとして、遠いパリを思い出していた。チップをいくら数え直しても間違っている気がしてドキドキしたこと。
before sunsetの夕暮れのパリで、なんでもなさそうにコーヒーを頼むジュリーデルビーのイメージが重なる。たとえば九年経って再会したなら、きみはどんな男性になっているんだろう?
そっと盗み見る他のテーブルの人々は、それが毎日の習慣でも、九年ぶりの再会でもわたしにはわからない。きっとわたしときみとがどこかで巡り会ったとしても、わたしたちふたりにしかその瞬間のきらめきのことはわからないんだろうね。
そして、あの子とあなたの間にある感情のことも、わたしにはついにわからない。あなたはあの子をちっとも好きではないと何度も話してくれたけど、あの子にはわたしのことをそう言っていたのかもしれないし。あの子はあなたを好きで、あなたもきっと「ちっとも好きじゃない」なんて単純な気持ちだけではないんでしょう。嫌われたくないとか寂しいとか執着。
でもまあ起きたことは起きたこと、それぞれの選んだことが選んだことで、隣にいる人/いない人は事実だ。
わたしは、みんながそれぞれに納得して、しあわせであれば良いと思う。わたしは、あなたにしてあげたかった分だけ、そして、あなたにしてもらいたかった分も、自分自身を愛して、大切にして、わがままを聞いてあげようと決めました。
わたしは自分の調子がいい時には、あなた方二人がしあわせでありますように、と本気で思えてしまう時もあるのですよ。小さな子どもたちのように思えることもある。不器用な子どもなのだなあと思うし、まあ、二人が悲しくないといいですね、仲良くね、とか。嫌味ではなく。
本を買います。たまにおいしいものも食べます。