祖父について

よく言えばルーティーン。
悪く言えば暇つぶし。

私が書いているnoteのことである。

書きはじめて1週間くらい経ったので、ちょっと読み返してみた。
思えば大学時代は試験やレポートなんかでそこそこまとまった文章を書くことがあったが、社会人になってから自分が書くものといえばどちらかというとインプット手段としてのメモ、そしてビジネスメールが中心になっている。

noteの文章を読み返してベースがビジネスメールになっていると気づく。

ワンセンテンスくらいで文章を切って改行を入れるのはビジネスメールで私が多用している手口と似通っている。

仕事ではアウトプットアウトプットと言っているのに、私生活で何か形のあるアウトプットをここまでしていなかったか…と省みる。

特にこのnoteに成果を感じているでもないので、もっと早くやっておけば…!なんて悔恨の念はちっともない。

いつも瞬間的に頭に浮かんでしばらく咀嚼すると満足して消えていく考えるための思考の墓場。

たまに墓参りに来てこんなこと考えていたなぁと思い出せれば幸甚にございます。

墓参りといえば3月は父方の祖父母の命日がある。
祖母は中学に上がる直前の春休みに、祖父は社会人になる直前の春休みに亡くなった。

確か何日だったかはわからないが、命日が数日違いだったように記憶している。

遠く離れていた訳でもないが、普段から頻繁に顔を合わせるという訳でもなかった。色々と素行の悪い面もあったが見かけないような外車に乗って、美味しいカレーを作って、ばったり出会すと急にハグしてくる祖父は嫌いではなかった。

ミンチなんて肉のクズだからハンバーガーは食べるなと言われたことがあったが、ある日ハンバーガー屋にいくと知らない女性と食事中の祖父に出会し、思わず心の中であんたが食べるんかい!っと突っ込んだことを思い出す。(流石に声はかけられなかった)

祖父はもともと食堂をやっていたそうだが、そこから親戚に繊維会社があったことから服屋を始め、1発当てたらしい。

当時を語る人はもう少ないので私もあまり詳しいことは知らない。

祖父の会社は私が高校生くらいの頃に倒産し、担保に入れられていた色々なものを差し押さえられたりもした。
そんな中、学資保険のお金をなんとか守り抜いて大学に進学させてくれた両親や祖父母には感謝している。

別会社として再スタートした後はお店は他の人に任せて祖父は商店街で小さな古着屋を始めた。
帰省するたび、店の奥で繊研新聞のスクラップを作っている祖父のところに顔を出しに行っていた。
どんな話をしていたかはあまり覚えてないが、こんな店でも食ってくだけは稼げるもんで、世の中には色んな生き方があるという話しはなんとなく今でもたまに思い出す。

長らく煙草を吸っていたが、煙草もやめてこれまでの僕はいろんなもので着飾って生きてきた。煙草やらなんたらクラブやら商工会やらいろいろなものを使ってきたけど、今、この状況になってやっとそういった飾りを外しても生きていけるようになったと言っていた。

晩年、脳腫瘍を患って入院している祖父を一人で見舞いに行ったことがある。
祖母が亡くなった後、祖父の面倒は別の女性が見ていた。父からすればそれは色々と煮えきらない思いもあっただろうが、私はその辺りの善悪が緩めな脳味噌をしていたのでむしろ会社を潰し、いろいろな飾りを外した祖父をそれでもと愛してくれる人がいることは嬉しくも感じていた。

こうして改めて思い出しながら書いてみると一緒に住んだことはなく旅行なんかもほとんど行ったことはなかったが、祖父の生き方に影響を受けている部分は自分の中に意外と多いのだなと思う。

墓参りでこんな人もおったなぁなんていかにも祖父が好みそうな言い回しだ。

僕はまだまだ煙草が辞められそうにない。
実家に帰ったら、墓参りに行こう。


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