平和について
ロシアが戦争を始めた。
戦争は絶対にやめるべきことだと思うし、殺すのも殺されるのもごめんである。
だが、実際にウクライナが攻められているのを目の当たりにして自国の安全は全く保証されたものではなく守られるかわからない約束の上に成り立っている物だと認識させられた。
非常にざっくりだが、守られるかわからない約束を守られるものだと各国が信じられるような状況・ないしは圧力を強めてきたのが戦後の大きな枠組みだったように感じる。
その枠組みが変えられようとしているのを強く感じる。経済制裁が制裁として効力を持たなくなった時、国際社会からの締め出しがうまく行かない時やったもの勝ちにしないために我々は何か取りうる手段があるのか。
米・露の主導で安全保障がされて非核化したウクライナが当のロシアに侵攻されて米から安全保障化されてない様子を見ると明日は我が身と肝が冷える。
流石に駐留米軍もおり、全く同じ状況になるとは言い切れないが侵略国と隣り合わせになっている状況、さらには中国も台湾の次が尖閣諸島にならないとも限らない現状を鑑みて明日の我々の安全に大した根拠はないのだと実感する。
軍役経験もない私は急に銃を持って従軍せよと言われてもなんの役にも立たないだろう。
かといって自分の国が侵略されて家族か危険に晒されているのを他の国の兵士が命をかけて守ってくれるというのも制度上は間違っていないかもしれないが感情的には違和感を感じる。
戦争反対と呟いても戦いは止まらないし、平和な世の中は訪れない。これまでの平和は戦争をした人たちが武力行使によらない平和維持の仕組みを作ってきてくれたからだと気づいた。
意見を声に出すことは良いことだ。ならばどうやってこれからの平和を作っていくのかに関しても国内で議論を深めていかなければと感じる。
ロシア国民にも戦争に対して否定的な人は多くいると思うが、独裁的な体制を許してしまえばそんな声も虚しい。だが今回の侵攻で政治機構として独裁体制が許される構造が欠陥品であるというのは改めて証明されたのではないかと思う。
民主主義vs権威主義の戦いはどうすれば勝敗がつくんだろうか。
つらつらと最近の頭の中を書き出したが、戦争で亡くなる方が少しでも少なくなることを祈りたい。
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