[教育]公立中高はちょんまげを強制すべき ぱあと2

1、 ぱあと1はなんだったのか

前回の記事はちょんまげを強制すべき理由を述べました。ばかばかしいと思われたと思います。その通りです。何が言いたかったかというと、ちょんまげに明確で直接的な理由がないように、制服にもないということです。
(例えば「廊下を走ってはいけない」には「怪我を防止する」という明確で直接的な理由があります)

2、 制服は本当は要らない?

自分は教職を目指すものとしてこのルール(制服の強制)に対して責任を持たなければいけないと考えています。何しろ生徒に強制させるわけですから、なぜなのか説明する責任があります。ですので事あるごとに様々な場所で「制服は要らないんじゃないか?」と問いかけていました。するとみな「いやいるに決まってんじゃん」という顔をして少し考えたあと三者三様の理由を述べます。実はその聞いてきた答えのまとめが前回の記事になります。僕はそれに対して反論してきました(相手を怒らせないよう質問という形で)。すると数回は答えが返ってきますが、すぐにバグが起きてフリーズします。そして怒らせないという努力も虚しく「なんて頑固なやつだ制服いるに決まってるだろ」という顔をします。

しかし明らかに制服には特に意味はありません。ではなぜみんなしているかというと「昔からそうだしいい感じ」だからでしょう。(ここにちょんまげと制服の決定的違いがあるからちょんまげは強制されていないわけです。)とするとなぜみんなばかばかしい理屈を大真面目に振りかざして制服は必要だと叫ぶのでしょうか。

3、一体何が起きてる?

人は自分の経験によって知識を積み重ねていきます。つまり長い間あたりまえだと思っているとその人の中に自覚できないほど深く深く根付いていきます。多くの人は六年間制服で過ごすなかでこれがあたりまえになりすぎたため、直感的にそうある「べき」であると思ってしまうのでしょう。この直感からくる強い確信をもとに理由を探すが、うまくみつからないためバグが起きてフリーズするわけです。(そして僕への反感に変わる)

4、おわりに

人は自分が考えるよりアホです。直感は主観的経験の蓄積によって作られるものですが、これがあてにならないことはモンティホール問題などで有名ですね。しかし自分の中では凄まじいほどの確信がありそれを覆すのは難しいです。だからそれを自覚して相手の意見が直感に反していようとも、しっかり理解しようとする態度が大事だと思います。

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