「自分の物差しで測らない」

自分の物差しで他人を測っちゃいけない。誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。

僕は英語が得意で英語教師を目指している。ある日友達にいい英語の勉強方法を聞かれたことがある。僕はドラマとか英語音声・字幕で見るといいよ、と言った。これは自分が思いつく限り最も現実的な案だったが、友達は笑って「でもめんどくさくて結局日本語字幕にしちゃう」と言った。僕は合わせて笑ったが、内心はなんて怠惰なんだと思った。

が、これこそ自分の物差しで測っていることに気づいた。自分は英語教師になるという明確なニーズがある一方、友達には特にこれといったメリットがない。英語字幕を頑張って理解しようとするのなんてめんどくさくて当たり前だ。これからは気をつけて「自分の中で当たり前になってしまっている前提」に気をつけなければならない。

では「自分の中で当たり前になってしまっている前提」とは具体的になんであろうか。価値観、考え方、経験等々...


全て、じゃないか?

自分は日本人だが、相手は日本人じゃないかもしれない。自分は男だが、相手は女、もしくは別の何かかもしれない。自分は地球人だが、相手は火星人かもしれない。つまりこれからは相手が火星出身である可能性も考慮に入れなければならない。そんなのバカバカしいと思うかもしれないが、これは「当たり前だと思っている前提」を相手にも適応してしまっている、よくないことなのだ。


流石に冗談です。これではコミュニケーションが成立しない。

自分の中の当たり前は、おそらく相手にとっても当たり前である、としなければならない。そうするしかないから。それで他人を傷つけてしまうことがあるかもしれないが、それはしょうがない。誠心誠意、謝ろう。

そして大事なことは、自分の中の当たり前をアップデートしていく態度だ。初めてLGBTの方に出会ったとしよう。そこで自分の当たり前との違いにドン引きするのではなく、むしろ他人を傷つける前に自分の物差しの欠陥に気付けてよかったと考えて改めていく。自分の物差しで他人を測らなければいけないのだから、いつも最新版にアップデートしていこう。

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