[教育]を盾にリボンでかくする

またしても制服ネタ。

たしか大学三年生のとき、えらい先生がスピーチをしてくれました。内容は「荒れた学校の立て直しを行うときに制服のリボンをあえてダサくした」というものです。そしてその理由は「このリボンを誇らしげに外でつけてもらえるような学校にするため」でした。
この話を聞いて僕はなんかモヤモヤしていたのを覚えています。ただ内容は荒れた学校を見事に立て直したサクセスストーリーで周りもなるほどという顔をしていたのでスルーしていました。それを今ふと思い出したので自分の思うことを書きます。


人の嫌がることはしていいと思いますか。もちろんノーなわけですが、教育では全然オッケーです。むしろ積極的にするべきであるとすらされています。なぜかというと、その行為によって対象は成長するからです。

と印象操作すると分かりやすいですが、この考え方は非常に危険だと思います。教育を盾にして生徒を必要以上に追い詰めたり、無駄に傷つける行為が横行する可能性があると思います。
そして実際、教育現場では無闇に人を傷つける行為が横行していると思います。

今回の話でリボンをダサくするメリットはなんでしょうか。今回の話ででてきた唯一のメリットは「先生が教育効果を視認できるようになる」です。生徒へのメリットは(たぶん)語られませんでした。というか明らかにないでしょう。
先生が自分でダサいと言ってるくらいですから(茶色くてでかいと言ってた気がする)、生徒は身につけたくなかったでしょう。それを強制するのはいじめであるとも言えます。
( 「外でも生徒につけてもらう」と言っていたので、学校内では強制で生徒は校舎の外に出ると外していたものと思われます。)

今回の話は教師の卵に対して権威のある先生がドヤ顔で話してくれた「美談」です。その美談の内容が教育的効果のないただの嫌がらせです。これは教育の名の下であれば人を傷つけることを無条件に許してしまっている一例ではないでしょうか。

自分は教育がいじめを正当化する道具として機能してしまう可能性に強く危機感を持っています。今回のスピーチで強い違和感があったのは、この教育の暴走が目の前で再生産されていくのを目の当たりにしてしまったからだと思います。(ただアホなのでその時は深く考えてなかった)
だんだんいたずらに生徒を攻撃することは減っていますが、それは保護者だとか世間の目があるからという側面が強いと思います。いつか全ての教師が教育的効果を十分に意識して行うようになって欲しいと思っています。

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