二種類の幸せ

テストでいい点取れた時。二度寝できた時。褒められた時。サンタさんが仮面ライダー電王の変身ベルトを買ってくれた時。人は幸せを感じる。

この幸せとはなんだろうか?単純化すれば、ドーパミンの放出である...が、話はそう単純では無い。これらの快楽は人を幸せにするだろうか?テストで常に100点をとっていたら幸せか?毎日二度寝してたら幸せか?毎日変身ベルトがもらえたら幸せか?

こういったことが時々あったら強い幸せを感じるだろう。だが一時的で、本質的な必要条件では無い。つまりなんとなく日々感じる幸せ、幸福度には貢献しない。自分は幸せには二種類あって、一時的だが中毒性のある幸せと、本質的だが流動的で直感的にわかりにくい幸せ(幸福度)があると思っている。そして人はこの前者の中毒性ゆえに振り回され、時に後者を忘れてしまう。

アルコールもゲームもマクドナルドもタバコもパチンコもマージャンもハーブもセックスもインスタもパーティも人を本当の意味で幸せにはしてくれない(場合が多い)。では後者、本質的な幸せを叶えてくれるものはなんだろうか。それは間違いなくたくさんあるし人によるだろうが、自分の考える大きな二つの要因は健康と人間関係だ。

精神的・身体的に健康でいることは必要条件だ。これが損なわれると人は幸せにはなれない。健康に金を出し惜しみするのは非常にもったいない。

人間関係も大きい。人間関係への依存度は人によって大きく異なるが、ほとんどの人は依存している。そしてそれは恥ずべきことではなく、社会性の高度に発展した人間という生物にとって極めて自然である。だから人間関係を改善するために容姿に投資したり、コミュニケーション能力を高めたりといった努力は幸福度を上げる可能性があると考えられる。

問題はこれらの重要性が直感的に分かりにくいことだ。健康に気を使うとかどこか煙たさを感じるし、人間関係も幸せになるためという点では重要性は理解されにくい。

だから人は幸せになりたいと言いながらも、マクドナルドを貪るし、浮気する。分かりやすい快楽に、本質的な幸せとを混乱してしまうからだ。(もちろんマクドナルド大好きで毎日食べてたら幸せという人もいてそれを否定するつもりはありません)本質的な幸せが強く脅かされているが故に直視できず、一時的な快楽で穴を埋めようとするのも多くの人が経験しているだろう。

マクドナルドはうまいし、別に一回食べたからと言って死ぬわけでは無い。ただ本質的に幸せでなければ、ただ人生は虚しいだけだ。強烈なドーパミンに振り回されず、本質的な幸せもしっかり認識して、人生を楽しもう。

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