中学生なりの、生きる理由の解答 Part 2

1、はじめに

この前、中学生の時の自分の実際の体験談を書きました。(数ヶ月の思考を一日にまとめる形で。)今回の記事はそれに対して今自分が何を思っているのか、です。

2、自○はするべきでは無い

あの経験を通じて気づいたことは、自分はどうしようもなく生きたいと願っているということです。ですがそれはただ生命活動を維持したいということではなく、「幸せに」生きたいという望みです。ただそれが絶望的に脅かされてしまっているので、苦痛から逃れることを優先しようとしていただけです。つまり妥協であり、逃避であり、苦渋の策です。よって「するべきかするべきでないか」で言えばするべきでは無いという結論に至りました。(ただだからやめたのではなく、当時は単純に死ぬのが怖かったのでできなかっただけです)

3、生きる理由は?

結局なんだかんだで生きながらえて、今ではもう22才です。生きる理由に関しては、正直今も究極的には無いと考えています。ここでよくある次に来るものとしては「だから自分で作るんだ!」ですが、自分の中では確固とした別の考えがあります。それは「そもそも論として生きる理由を考える必要性が生じなければ良い」ということです。人は幸せならそれでいい生き物です。きっと僕をいじめていた人たちは生きる理由について深く考えたことはありません。それは単純に今が充実していてそんなこと考えなくていいからです。ですから自分もそういう環境作りに励むことにしました。(それはまた別の記事で書こうと思います。)

4、おわりに

多感な時期に三年間ほど死にたいと思いながら生きていました。それから早くも8年くらいですが、今でもしっかりとその影響は残っています。おそらく自分は一生このままでしょう。だからこそ自分は頑張ってきた自分にこれ以上無理をさせないよう、環境作りに励んでいかなければなりません。そしていつの日にか、生きる理由なんて無いから自分で作るんだ、なんて言える余裕ができたらいいなと思っています。

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