シン・エヴァンゲリオン劇場版 を見た夜に書いた
テレビシリーズ放映時に同じ14歳だった自分には、彼の悩みは分離できないほどに近すぎた。何度も答えを探すように、ビデオテープに録画した25、26話を見た。
答えは見つからなかった。いつか答えがあるのかもしれない。ある日発見できるのかもしれない。
ある程度何かと不安定な生い立ちなので、親の分まで戦って稼いで生きていかなければいけなかった。戦っても認められるわけでも褒められるわけでもない。
旧劇場版を見に行った時は、答えが見つからないことに、少し安心していた。辛いのも気持ち悪いのも、自分だけじゃない。
大学でオタクではない周りの人たちが話題にし始めた時には、もう自分からは遠く、寄り添ってくれる作品ではなくなってしまったような気持ちになった。
在学中も卒業後も限られた人以外には事情を知らせず、食べていくために生きながら、いつか穏やかな気持ちで生きられる日々は来るのだろうか、と考えていた。
「序」と「破」を見た時には、作品は大人になっていて、自分だけがまだもがいていて、何も解決できていないのだと、置いて行かれたような気持ちになった。
「Q」では置いて行かれたと思っていたけど、未来がわからないのは同じなのかもしれないと感じた。
自分の人生は「Q」の後に大きく変化があって、今関わっている分野と周りの人々に出会い、不安に振り回されないで生きていく術を教わり、自分が未来に対してできることを信じることも、居場所を許してもらうためではなく、同じ目的のために自分の役割を果たし、できることを増やしていける事も学んだ。
今日、最後だし見ておかないとくらいの気持ちで映画館に行った。周りの既に見た人も皆、満足しているようだし、見なければよかったという気持ちにはならないだろうと心構えをしていた。
序盤で、自分の中の、助けてもらいたかった14歳と、逃げ続けたかった14歳と、戦い続けないといけなかった14歳が、本当は彼ら彼女らの姿と一緒に、ずっと自分の中にいることに気づいた。
あの時こうして欲しかったって叫べなかった。代わりに彼らが叫んでくれていたこと、代わりに逃げてくれていたことに気づいた。涙が止まらなかった。
最後に一緒に救ってもらった。
自分が大人になってきたのかどうかはわからないけど、彼ら彼女らは、ずっと一緒に存在してくれていて、寄り添ってくれていた。
一緒に生きてくれて、ありがとう。作品が存在し続けてくれたことは、私にとって幸運でした。
現実で関わった人と同じように、時にはそれより強く、自分の中に存在してくれていたことが今日わかりました。
当時の私にシンクロして、私の心を守って、寄り添って戦ってくれて。私にとって作品自体が本当にエヴァンゲリオンでした。
今はたくさんの人に出会って教わって助けられて、自分で生きていけるようになったけど、あの時救ってもらえなかった、ずっと誰かに助けてもらいたかった14歳の私は、今日救ってもらえました。
25年前のあの時から、やっと自分にもおめでとうって言える日が来た。同じ時間の間、一緒に寄り添ってくれてありがとう。
最後まで作ってくださって、本当にありがとうございます。
あまりに個人的な感想だったのと、当時はネタバレにもつながるため、書いたままにしておいたけど、作品への感謝はどんなものであれ公開した方がしないより良いのではと思い直し、公開しました。
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