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コインランドリーの人が200円恵んでくれた話

『ちーいさーいーころーはー かーみさまがいてー
 ふーしぎーにゆーめをー かなーえーてくれたー』

ユーミンさんの やさしさに包まれたなら という曲の歌い出しだ。
この歌詞には諸説あると思うが、
わたしの場合この曲を聞いて浮かぶのは自分の幼き日だ。

何故なら私は幼き日々の中で確実に神を身近に感じていた (無宗教です) 。
わたしには神がいる、という確信があった。
それは私専属の神だ。
神は夢を叶えてくれることもあったが、どちらかというと相当ないたずら好きであった。


ベッドの上に置いたはずの靴下がない。

ランドセルに入れたはずの筆箱がない。

今日は大丈夫、筆箱入ってた。。。という時はむしろ鉛筆全部入ってない。

クレヨンない。下敷きがない。

水泳の着替えでは、脱いだパンツがなくなったことさえあった。


わたしはその全てを私専属の神の仕業だと信じていた。


神様。。。お願いだから消しゴム出してください。。。
神様。。。お願いだから宿題のプリント出してください。。。。

すると不思議なことにまさかここにと思うような場所にワープしたものが見つかる事があった(見つからない事もあった)。


それを神の仕業ではなく自分の過失だと気づき始めたのは小学二年生くらいからだっただろうか。

自分の過失であると完全に理解している現在も頻度は減ったが忘れ物はある。
しかし神を感じる時もある。

昨日は雨だった。洗濯物が溜まらない様にコインランドリーで一気に洗濯してしまおうというのが雨の日の作戦である。
洗濯物を車に乗せ、子どもたちをを公文に送った。

その間コインランドリーで洗濯である。
酎ハイと漫画で洗濯を待つ中年男性をよそに一番奥のマシーンに洗濯物を詰め込み、コインを一枚づつ入れる。財布に確実にあったはずの100円玉はもちろん2枚足りなかった。
仕方ない、返金しよう。と返金ボタンを探すが。。。ない。

問い合わせ先に電話をし、事情を話す。
ランドリーの人が来る。

ランドリーの人は、どれ?と聞くと
奥に入って行き、手提げ金庫を持って再度現れた。
そして返金をするのではなく、なんと2枚の100円玉を私の掌に乗せ、ニコッと笑ったのである。(いつの間にか酎ハイおじさんは消えていた。)

なんて優しいコインランドリーの人なんだろう。
コインランドリーの人に感謝すると共に、私が神に心のどこかで感謝したのはいうまでもない。

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