キャストインタビュー 田坂哲郎さん

幼少期の「ガーン」

田島:お芝居とか表現に興味を持たれたきっかけを教えてください。

田坂  もともと僕の母親がとてもお芝居が好きで、3歳ぐらいの時から 芝居に連れて行かれてたんですよ。母親が子ども劇場っていう、子供にお芝居を見せる会に所属していたのもあって、子供のためのお芝居から、大人が見るようなお芝居も含めて、結構見に行くことが日常になってて。きっかけを持ったというか、完全に母親による教育。お芝居というものが日常にあった 。

田島:幼少期に見た作品の中で覚えているお芝居はありますか

田坂:小さい頃で見たので言うと 劇団あとむかな。学校とか回ったりする、風の子さんや、プークさんとかのお芝居をすごく見てた。
劇団あとむの「あとむの時間はアンデルセン」 というアンデルセン童話をオムニバスにして見せてくれるお芝居があって。
劇団あとむの演出の特徴で、縄とか紐とか、素材みたいなものを使って見立てをするという特徴があって。
「その中でお父さんがやるものは みんな好き」という作品があって。
多分元々はアンデルセンの原作だと思うんですけど 。とにかくこのお父さんがダメなやつなんですよ。 何をやらせてもダメで、最終的には 全てを失ってしまう、みたいな本当に不幸になるんだけれど。最終的にその奥さんが、それでもお父さんのやることはみんな好き言って、ほっぺにチュッとして終わる 。見た時になんだこれと思って(笑)それが未だに忘れられない。 チュッてやってお終いです、みたいな。暗転とかないから、体育館でみせる芝居だから。
チュッとやっておしまいってなったのが「ガーン」 ってなって。なんじゃこりゃって。それが未だに忘れられないですね。

田島:不条理なものを感じたということですか。

田坂:そうね、意味が分からんものを見たと言うか。

公園でお芝居

田島:お芝居は幼少期から見られていたということなんですけれども 、自分でやってみたいなという思いは幼少期からあったんですか?

田坂: ありました 。僕は昔から好きになると作る側になりたい。 芝居も好きになったらすぐ作る側になりたくて 。子供の頃公民館とか体育館でお芝居やった後の、劇団のバラシとか手伝ったりしてて。 ちっちゃい小学生ぐらいの男の子が 持たせて下さいと言ったら、大人は持たせてくれるわけですよ。 軽い葉っぱなんかを。いっちょまえに手伝ったみたいな気持ちになったりして。

田島:可愛いですね。

田坂:で、年1回のお祭りで、お芝居をやるっていうのがあって、公園で、野外でやるんですよ。そこで 一区間借りて仲間を集めて、芝居を作ってやってましたね。 今から始めまーすっていって。

田島:何歳ぐらいの時ですか。

田坂: 小学5年生とかかな。

田島:そこでもう旗揚げをされてたんですね。

田坂:劇団というか、プロデュース公演みたいなことは知らないから、 劇団なんとかっていう名前はつけてたと思うんですけど、年一回それだけのために集まった人たち(笑)

田島:早いですね。

田坂:近所の子供達集めて。 でも完全オリジナルじゃなくて 、ボーイスカウトに入ってた友達がそこでお芝居やってて、その時こんな作品をやったっていうのを聞きかじったのやつを、原稿用紙に書いて印刷して配ってやってました。

田島:それってお客さんはいたんですか。

田坂: お客さんいたと思う。 お祭りだったからなんとなく人は集まってきて。 でも全然何の仕切りとかもないから、僕らは芝居をしているけれど、分からない人が間を自転車でさーと走って行ったりしてみたいな。

田島:無法地帯ですね(笑)

非・売れ線系ビーナスを作った

田島:部活には入っていたんですか?演劇部とか。

田坂: 中学は入っていなくて高校は、 演劇同好会があってそれに入りました。

田島:そこで演出をされたんですか。

田坂: 最初は役者で入っていて、高1の時に高3だった 長谷川先輩という人がカリスマ的な人で、 その人にみんなついて行っている感じで。 その人が卒業した時に、みんな辞めてしまって。 男3人だけ残ったんですよ。 高1の時に入ってきた男が3人だけ残って。まぁでも3人でもやるかっていう感じで。そこから僕が演出をするようになりました。

田島: 発表も同好会で行っていたんですか。公演を打ったりとか。

田坂: 学内公演だったり僕の代から大会に出ようってなったり。同好会だったのを僕の代から部にしたんです。 せっかく部にしたんだから出るかってなって大会に出るようになりましたね。

田島: その時に演出を始められたんですね。

田坂:その時はもう作・演でした。

田島: 作もしてたんですか。

田坂:作もしてました。何ですかね、書くものと思ってました。当時別の子が書いてきたものを書き直したりもしてましたけど。

田島:既存のお芝居を上演するということもあったんですか。

田坂: 最後僕らが卒業する時に「農業少女」をやりました。

田島:野田秀樹さんの。

田坂:当時「せりふの時代」に戯曲が載って それですぐやりました。

田島:そこから大学でお芝居をされて?

田坂:大学は、同級生だった 川口とかと、合同公演をやるわけですよ。その流れで劇団を作ったんですけれど、 そこは1年ぐらいで僕は辞めてしまって、 今うちで劇団をやってる木村さんも最初はそこに入ってたんだけど、 僕と一緒に辞めて。 僕らの一個下の後輩たちが、卒業してくるから、 そいつらと一緒に5人ぐらいで非・売れ線系ビーナスを作った。

田島:そこで非・売れさんに繋がるんですね。

褒められた

田島: ご自身で戯曲を書かれたり、役者もされていますが、表現の欲求や源はどこにあるんでしょうか。 簡単に言うとなぜ表現をされていらっしゃるのでしょうか。

田坂:う~ん。いろんな理由があるんだと思うんですけど、一個は褒められたんだと思うんです。 子供の頃に面白かったよー、とか。あと親に全く反対されずにきたのもあると思う。 本当にやるものだと思って、中学生ぐらいの時から、食える食えないは別としてやるものだと思っていたから。別の進路を疑ったこともほとんどなかった。

田島:もう決まっていたんですね。最初から他になかったというか。

田坂:自分の中で完全に決まっていた。 中学ぐらいの時からもう 好きとか嫌いとかじゃなくなっていた。 そういうもんだと思っていた。

お祭り

田島: 作品によって、どんなものをお客さんに見せたいか、というのは変わりますか?

田坂: 変わると思います。最近すごく思っているのは、どんな時間を一緒に過ごすかがテーマだと思っています。 お客さんと一緒にどんな時間を過ごすか を考えながら、 本も書いているし作品も作っている。 何を見せるかということよりも。

田島:一方的なことではなくて。

田坂: うん。もう一歩。例えば、お祭りとか家でホームパーティを開くようなときって、自分が何かをその人に見せるのではなくて、どんな空間を作ったら心地よく過ごしてくれるかとか食べ物を何にするかとか。 その感覚に近い気がします。

田島:お祭りっていうキーワードが面白いなと思ったのですが、本当に最初の頃に始めたお芝居がお祭りだったというのとつながりがあるんですかね。

田坂:あるかもしれないですね。

田島:真ん中を自転車が通っているのとか、そういうお話を聞いて。

田坂:当時は真ん中を自転車が通られるのが嫌でしたけど、 今はあれはありだったなぁと思う。 自転車が通り抜けられたことを、その場で突っ込めば良かったんでしょうけど。 さすがに小5なんで。
田島:今だったらできるかもしれない?

田坂: 今だったらできるかもしれない(笑

「当事者意識」がない場所

田島:最後にオイルの稽古の感想や意気込みを聞かせてください。

田坂:石田君に稽古でキーワードをくださいと言われて、僕は「進駐軍」とか「ガム」とかかなり直接的な沖縄の基地のイメージが浮かんで。 僕は母方が沖縄出身なので夏休みは毎年沖縄に行ってたんですけど。当然基地のそばを通らざるを得ない。あれ、なんだろうって思っていた。あと、最近みないけど板ガム。沖縄に行ったら噛む。グリーンミントガムを噛む、 すごくそのイメージがある。 あと、ジープも沖縄で普通に走っているというのと。

田島:「そう遠くない」ですね。


田坂:広島にも住んでいたことがある。でも広島の中でも福山市。福山市ってそんなに戦争の被害をうけていない、お城も残っているし。そんな中で、沖縄も実は浦添市というそんなに戦争の被害をうけていない。基地のないところなので。外から見ると当事者意識がありそうで、実はそんなに当事者意識がない場所、ていうのが僕の中では原風景として持っているだろうなと思う。 そんなことを考えながらやっています。

田島:これからとっても楽しみです。ありがとうございました。

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