見出し画像

俺、ゲイなんだ。(ちょっとした宿命)

《口に出してみると、「僕、ホモなんだ」というその言葉は、不十分で不適当な言葉のように思えた。なぜなら、それまで何年ものあいだ彼は、たとえ自分にそうした性的傾向があるにしても、それは自分の本質的部分からはすぐにでも切り離すことができると信じていたからである。にも関わらず、いった瞬間に、それが自分の抜きさしならない一部分であることが彼には痛いほどよくわかったのである。》『テリトリー』より

実際自分も、2011年頃までは「ゲイであることは性癖の一つにすぎない」と思っていた。今ツイッターで自分を検索してみたら、2010年にbcxxxさんにも、話の流れでそう伝えていた。当時まだリアルで面識ないストレート男性にツイッターでカムアウトしている俺(笑)。それほど信頼できたのだ。その後リアルでもbcさんに会ったが自分の勘はもちろん間違いなかった。

しかし「ゲイであることは性癖の一つにすぎない」なんて思いは、今はもうさらさら自分の中には無い。生き方を左右する、抜き差しならない一部分なのだ。そりゃ「私の好きなセックスは○○です!」と普通はわざわざ人に言わないのと同じように、性癖の一つという側面もある。そんなのは言わんでよろしい。しかし親しい人に、自分の幸せの形を話すべき時、「異性愛者ではなく同性愛者なんです」という前置きは “本来ならば一度は” 伝えずには通れないのだ。上手に避け続けていても、結局は「ベールに包まれている人」「何を考えてるのか分かりにくい人」などと、何度か俺も言われた。好きな人(親とか親友とか尊敬している先輩とか)へ、自分の幸せを語れなかったり、見せられないというのは、自分の人生の一部を殺していると、思い至ったのだ。世界各国で同性婚の法制化が進むことで、やっと気がついた鈍感な俺。

ところで、日本語訳では「僕、ホモなんだ」だが、原文では「僕、ホモセクシュアルなんだ」だろうな。この短編のように両親の前でカミングアウトする時に、自分の性質を説明する必要があるとしたら、役割のように聞こえる恐れのある「僕、ゲイなんだ」ではなく、動かし難い性質「ホモセクシュアル」の方が妥当なのかな、欧米では。知らんけど。

📙読書記録 この前『せつない話 第2集』の読み直しで『テリトリー』読んだので、これも93〜95年頃?読んだ河出文庫のデイヴィッド・レーヴィット #DavidLeavitt 短編集『ファミリー・ダンシング』を本棚から見つけ出し、読み直し。テリトリー/残された日々/失われた別荘/エイリアンズ/犠牲者/ファミリー・ダンシング/放射線/巣立ち/リトマス試験紙 の9編。
訳 #井上一馬 カバー写真 #折原恵

ゲイが主人公なのは「テリトリー」だけで、他は中年女性が主人公のものが多い。離婚、子供の教育の悩み、自己の癌とのつきあい。こういった、家族との断絶/再生、孤独/救済など、重いテーマだが、どこか諦めにも近い明るさ、潔さもあった。💃🕺

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?