意思の上にも3年①

ずっと好きだった人がいた。3年ずっと大好きで仲良くなりたくて、仲良くなったつもりでいた。周りからも応援してもらっていて、いつか分かり合える相手だと思っていた。

昨日、その気持ちを相手に告げ相手に全く気持ちがないことを教えてもらった。全く微塵も可能性はなかったようだ。その時は衝撃を感じたが話していくうちに私たちの歩んでいた道がはっきり見えた気がした。私は交差する道を歩んでいたつもりでいたけれど本当は全く別々の道を進んでいて違う景色を見ていた。

結果、私はとんでもない勘違いの痛い女に見事なってしまったのだが、彼に思わせぶりな態度がなかったかというと多々にあった。一般的な解釈で見ると誤解しても仕方ないことがいくつも連続してあり、私だけでなく周りの人たちにもそう見えていたようだ。そして私は彼の口にする言葉や行動の中に小さな愛を見つけては拡大解釈して受け取っていた。なんて罪なやつ。

しかし冷静になって振り返ってみると、彼は何度も私にNOを伝えてきているのだ。私がそれを都合の良いように解釈していた。脈絡のない話の時に、彼に「君は人の話を聞かなさすぎる」と言われたこともある。そういうことか、と今になって赤面して足をジタバタさせている。

この恋が終わって私は開放感を感じている。まるで憑物が落ちたかのようだ。恋愛の沼にハマり、ドロドロに振り回される女にだけはならないようならないようにと気をつけていたのだが、実際見事にハマっていた。禍中にいる本人は気付かないことを身をもって知らされた。ふと時間が空くと恥ずかしさと痛みが悶えるように胸の中で疼く。相手の方が何枚も上手だったのだ。惨敗である。

今思い返せば、いくつも気付けるような布石はたくさんあった。しかし私は頭の中で、自分の希望のみで未来を作り全て都合のいいように解釈していた。

それだけ私は愛に飢え、不安と寂しさでいっぱいだったのだ。

この3年が恥辱と後悔に埋め尽くされていないということをこれから書いていこうと思う。成仏!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?