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「学校の成績は良いのに、、、」と否定する前に

質問箱で「学校の勉強だけできても何の意味もないと思うのですが、どう思いますか?」という質問をいただきました。回答が長くなったのとこの問題について以前から思っていたことがありましたのでブログにまとめました。

「学校のお勉強だけ出来」るの「だけ」以外が何を指しているのかがわからなかったので以下、仮説で話を進めます。

①礼儀、一般常識、思いやりややさしさ
間違いなく学校の勉強よりも人として優先すべき大事なことですね。
仰る通りこれらを欠いて勉強だけできても社会では生きていけないと思います。

②教養
教養は「適切な使い方ができれば」人との付き合いを円滑にしてくれますのであった方がいいですが、学校の勉強を否定するまでではないかと思います。

③業務(仕事)推進力、生活力
学業の成績はよかった(もしくは高学歴だ)が仕事ができない、生活力がないということでしょうか。

学校の勉強ができている(=成績が良い)ということは、少なくとも「大量の情報を記憶し、求められた内容を決められた時間内に適切にアウトプットする」能力が優れているということです。また、「目標を定め、数年単位の長期にわたり努力を続ける」能力にも優れています。これらは仕事や生活においても必ず役に立つ能力だと思います。なので「何も意味もない」と完全否定するまでではないと思います。最近また取りざたされている「学歴フィルター」についてもこの意味において私はそれほど否定しません。(もちろん学歴がすべてとは思ってはおりません。あくまで評価する能力の一つということです。)

学校の勉強はできるけど仕事ができない、生活力がないというのは、学校の勉強で培った「学ぶノウハウ」をうまく仕事・生活面にシフトできていないだけなのではないでしょうか。こういう場合、もちろん本人のやる気の問題もありますが、学校の勉強と仕事・生活での学びの違いを正しく指導してあげる人がいない場合が多く、そちらの方が問題としては大きいのではないかと思います。

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