白河よいとこ。

翌日のミサの説教では、私のことが語られて、しかもHP(福音の村)で残ったものだから小躍りして喜んだ。

https://fukuinnomura.com/?p=11726

でも、三日間でも来てよかったです。聖コルベのお祝い日と、聖母被昇天と、この主日ミサと、三日連続してミサを捧げて、三日連続して、遠くから来たいろんな人たちに会うことができて。(※2)
 中でもこの三日間、連続してミサに出ている、「青春18きっぷ」(※3)の君、・・・はい、そうやって手を挙げるあたりがね、(笑) なんともずうずうしい感じですけど。(笑) 兵庫県から、「青春18きっぷ」でやって来たんですね。この14、15、16の多摩教会のミサに与あずかるため、そしてまたちょうどこの三日間、夏休み特別登校日みたいな意味で入門講座もしてるんですけど、これに、参加したいということで。まあ、それでなくとも、全国を放浪しているような青年なんですけど、この三日間を、どうしても多摩教会で過ごしたいということで、来てくれました。この彼に会えただけでもね、戻ってきた価値があったと思いますよ。
 その彼が、入門講座の質問コーナーで、こんな質問をしてました。
 「太宰治の本を読むと、すごい苦悩に満ちている」と。
 「人間の存在の本質に関わるような苦悩、恐れ、自己否定・・・、さまざまな苦悩が、そこに満ちていて、それに自分はどう答えていいか分からない。自分の中にも、同じような闇があるし、キリスト教徒として、どのようにこれに答えるべきなのか、そこを聞きたい」
 若者らしい質問ですね。人間存在の本質に関わる問いです。
 私はもう、即座にお答えしました。
 「太宰治を読んだ後に、晴佐久神父の『十字を切る』(※4)を読みなさい。(笑) そこには福音が書いてある。福音はすべての問いへの答えだ」
 皆さんは、「苦悩」っていうものを、どう思ってるんだか分かりませんけど、思い出してください。赤ちゃんのときって、何も考えてないでしょう。苦悩なんてしていない。「苦悩」って、その後に脳ミソに入れたものなんです。最初は入っていなかったんです。自分で後から勝手に入れたものなんですよね。
 ・・・入れたものだったら、出せます。
 これ、生まれつき備わってるものだったらね、もう、取り外せませんけれど、生まれたての赤ちゃんは、苦悩もなにも、ないですよ。空っぽ。そこに、いろんなものを入れてきたんです、私たち。
 太宰治が知らなかったのは、「福音」です。自分の脳ミソに、苦悩よりも何よりも、まずは福音を入れてあげればよかったんです。太宰が生前、『十字を切る』を読んでいたら、まあ、あの文学は生まれなかったわけですけれども、(笑) しかし、彼は救われたと思う。自分が永遠の命を生きる者だという喜びを持ち、神の愛によって必ず救われるんだという希望を持って、その生涯を終えたことだと思う。
「青春18きっぷ」の彼もね、三日間ミサに出て、三日間、この入門講座に出て、そして、昨日の夜はついに、神父の誘惑に負けて、あさってからの無人島キャンプに参加するって言うんですよ。(笑) 大歓迎です。
 あの、うわさの小聖堂で、聖霊を受けてください。おなかいっぱいに、神の愛を受けてください。
 あなたはず〜っと、四国を放浪したり、あっちこっち、こう、さまよって、太宰の苦悩と向かい合ってきたようですが、もう、この三日から先は違いますよ。死と復活の儀式、聖なる三日間。・・・聖霊を受けましょう。


無人島行きが決まり、その前に福島県の白河に会いに行く約束をしていた人がいた。

ミサが終わると、

多摩から、JRで十八切符で六時間ほどかけて北上し、白河まで。

全くの偶然で、多摩教会で出会った若き牧師先生も時を同じくして白河の教会に戻っているという。

そこで、白河で迎えに来てもらうことにした。


この旅では、いい偶然も悪い偶然も経験した。

新宿でのおっさん事件然り。

電車内での喧嘩で駅員さんが呼ばれるという現場にも二件居合わせた。

「足を蹴られた」、「足を出して邪魔してきた方が悪い」でトラブル。

もう一つ。

ボックス席にて、酒を飲み酔っぱらい、周りに座っている人たちに暴言を吐き続ける迷惑な人。

志ある近くにいた人二人が、「いい加減にしろよ!」と黙らせ抑えつけ駅員さんを呼び、途中で降ろさせる。

抑えつけた二人のパパは握手して投合。

終点で、「ありがとうございました」とあいさつをしておいた。

「動画取ってたら、ぜひユーチューブとかにアップしてくださいね」と得意顔で言われる。


電車内の怒鳴りあいや喧嘩の現場に運悪く出くわすと、その場全体が嫌な気分になる。

近くにいる人は関わり合いたくなさそうに、見ないふりをする。

福音を聴き、すばらしく喜びにあふれる気分でいるところに、そういう現場に居合わせると、

まるでケーキに醤油をぶっかけられ味がスポイルされ戻らなくなったように、敬虔で穏やかな心もぶっ飛ぶ。

心のモードが急に、「警戒」に切り替わる。

なんかの「お試し」なんだろうか。

「双方の心に平和が訪れますように」という祈るような気持と、

「迷惑な人」が車内から排除されて連れ出されることへの、安堵と正義感のようなものを感じる。

人間の中には、いつも二つの心が眠っている。

困っている人に手を差し伸べたいという優しい気持ちと、

迷惑をかける人を裁き、排除したいという気持ちと。

しかし、基本的にそういう時は、速やかに駅員に連絡するというのが正解だ。



都心から離れ、東北に行くにつれて、電車の車両の数も減っていく。

もう、暗くなっているので分からないがきっとのどかな田園風景が広がっているのだろう。



夜方に、新白河駅に到着。そこには牧師先生の車が待っていた。

新幹線の駅もある。高い建物はあまりなく、遠くまでのどかな街並みが広がっているという感じだ。

心なしか、大阪や東京よりも涼しく感じる。

被災地ではあるものの、栃木に近い内陸部ではあったので、地震の影響も、また放射能の濃度も薄い。

一緒に近くの店で夕食を取った後は、牧師先生の社宅で一泊させていただくことに。

ソファに座り、『ジーザス・クライスト・スーパースター』を見たが、内容はほとんど覚えていない。

夜の三時近くまで、ウイスキーを飲みながら語りつくせぬ話に花が咲いた。



翌朝、待ち合わせの時間ギリギリに目が覚めた。

急いで、新白河駅まで運転してもらい、

牧師先生と、「また必ず会いましょう!」と約束して、握手で別れる。



改札口では、以前から会う約束をしていた文通をしていた友人。

当時は、教職を目指していて、宇宙や数学や哲学の話についてとても盛り上がっていたので、夏休みにはぜひ会いたいと思っていたのだ。

本当に会えて互いに感激していた。

喫茶店やラーメン屋さんで楽しく語り合った。

読み込んできた『十字を切る』もその人にあげてしまった。


私が、店を出る時、「おいしかったです、ありがとう」と伝えているところなど、ちゃんと見ていたみたい。


白河の二日間も、奇跡のような充実した日だった。

さあ、これから復路成田空港だ。






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