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なぜ、わたしは教会に通うのか?

モノにはつくられた目的があるように、人間もそうなんだよ。

尊敬する牧師先生が教えてくれた言葉です。

社会人になり、
そもそも私って何のために生きてるんだっけ…

何を指針にしたらいい?
それを教えてくれる人はどこにいる?

そんなことを考えていた時に、
友人から聖書を教えてもらうようになりました。

例えばコップは、飲み物を飲むためにつくられる。
スプーンやフォークは、食べ物を食べるため。
時計は、時間を伝えるため。

こんな風に、全て存在するモノには、
必ず目的があって、
何かしらの、意味があって存在しています。

作家のいない作品はない。
だからこの世界も人間もそのようだということ。

とてもとてもシンプルですが
シンプルすぎて灯台下暗しなこの理知と法則は、
誰からも教えてもらったことはなく、
「作家」である「神様」の世界にどんどん引き込まれていったのでした。

聖書っておもしろい。

コーヒーカップはコーヒーを注いでこそ、
見た目も味も美しい。
人間も、根本の「目的」をわかって生きられたら、きっともっと嬉しい。

きっと人生って
自分が思ってる以上にシンプルなのだろうなと。

彼らは海から海へさまよい歩き、
主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる。
しかしこれを得ないであろう。

旧約聖書 アモス書8章12節

まさにこんな感じの人生でしたが、

ブレていた人生のハンドルをしっかり握り、
目的地をハッキリと教えてくれるきっかけとなった、私と聖書との出会いでした。

そして名古屋にある
主の栄光教会に通うようになりました。

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