古いTwitterアカウント

皆さんこんばんは。地方公務員界隈の皆様はこの3月いかがお過ごしでしょうか。人事異動というエンタメや、年度を締めに行くドタバタ、来年度の頭痛のタネが育ってきたりと、一息つく間もない時期かと思います。

そして、こんな時に限って大昔の爆弾が出てきて手を焼くことになったりしますよね。僕は今そうです。年度頭の自分より賢くなった故の悲しみかもしれません。違いますね、事務をちゃんとやれという話ですね、精進します。


まあ仕事中のドタバタはよくある感じなんですが、自分のTwitterでも爆弾を見つけてしまいました。高校生~大学生X年生ぐらいまで使ってた壁打ち用Twitterアカウントです。何故残っているんだ。

色々怖いんだけど、n年前からやってることがほぼ変わってないのが一番怖い。何も成長していない。余程壁と話をするのが好きらしい。老後も話相手に事欠かないことを確信した。既に壁は僕にとって古き良き友人らしい。


いい機会だし、見つけたからには読むか!と思って読んでみたら当然のごとくとても恥ずかしい思いをした。今でも下手な日本語が更にぐちゃぐちゃで、論理が飛躍し言葉が抜けまくっていて、自分でも何を言っているかがわからない。本当に壁打ちで良かった。もしもこんなものを人様へ自信満々にリプしてたら、デジタルタトゥーを刻むところだった。TLに流してただけだからセーフです。


そんな自身の若さにのたうち回るような気持ちで色々眺めていたが、良いことも残っていた。今の自分に欠けているもの、元配偶者と過ごす前の時間の自分がそこにはほんの少しだが残っていた。その自分は、今の僕から見ても強い不快感を覚えるほどに変わっていなくて、それはどうしようもなく俺だった。

書いてることは、そこので日頃書くような人に見せても大丈夫と言えるかラインを一切考えなくて、その場の勢いで書いているからひどいものが大半で、それに加えて当時の色々なことに想いを馳せると控えめに言ってもお腹いっぱいになった。

自分が気に食わない、ここが認められない。それでも生きていくには―。つまるところ、こんなことばかり書いてあった。

昔はわからなかったが、今ならなんとなくわかる。同じことばかりだ。本当に変わってない。自分のことばかりで、だからやらかして離婚するハメになったんだ。やらかして当然だ。

人のことを傷付けておきながら開き直るつもりはないが、そんなことばかり考えていてうまくいくわけないだろう愚か者がと納得できたことは、恥を忍んで読んだ甲斐があると思えた。


こんなクソみたいなものでも、自分の過去とのとっかかりが見えにくくなって困っていた自分にとっては助けとなるものだった。思い返して余計なダメージを受けたものもあるはあるが、それはトイレでお釣りをもらうようなものだ。いやそれクソやないかい。こんな過去に浸ってたまるか。


とまあ、散々過去の自分をボロクソに言ってきたが、確かに良いことが1つだけあった。自分で自分の書いた言葉に勇気をもらったものがあった。それをひとつだけ書き残して今回の結びにしようかと思う。


「誰にも認められないかもしれないもの(自分自身)をお前だけは認めなければならない」

いくつになっても、言ってることが同じで愚かなんですけど、こういうのはまだ嫌いにはなれないんです。やっていくしかないんですよね。

また明日からも生き延びていきましょう。




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