忘れられない日

こんばんは。最近は色々なことに手を出して方向性が迷子になっているそこのです。でもそうやって、日々を機嫌良く過ごしています。

そうやって過ごしていたとしても、僕の捻くれて拗れている部分は特に変わることもなくて、まるで友達からの急な誘いのように、ある晩に不意に訪れて寝るまでお付き合いすることは変わらずやっている。人はそんなに変われない。

それはそれとして、こういう拗らせに至るには何かしらの原因があるもので、僕の場合はその1つの大きなモノに思い当たりがある。
そして、それがあった日は僕にとって何よりも忘れられない日なのだ。自身の誕生日、嫁との思い出の日や何か楽しいことがあった日じゃなくて、その日なのだ。

じゃあその日がなんだったのかと言うと、家庭の事情により転校することになり、生まれ育った地域の学校に最後に行った日だった。
転校が急に決まった話だったので、その1週間前に親からそのことを聞かされた。現実のことと感じられないままその1週間を過ごした。
日常生活を送っているのに、それが日常じゃないと指摘され続けるような居心地の悪さと、見てみないふりをして遊ぶ、意地っ張り特有のバツの悪さを抱えて過ごした。(こう言うところは本当変わってない)


そうやって過ごした果てに、最後の日に放課後の鐘を聞いて、あぁ、終わったんだなと思ったことは今でも覚えている。忘れられない。

別れへの諦めとも、転校を隠し続けることへの解放とも、その1週間でクラスの主役になれた高揚感とも、終わりへの自覚とも、一言でハッキリ言えないようなあの時の感情は、本当に死ぬまで忘れられないと思う。
できればもっと噛み締め甲斐のある感情なら良かったのだが、残念ながら残ったのはこれだった。長く味わえるのは良いところだけど味は最悪だ。


学校から全ての荷物を引き上げ、居場所を一つ畳んだ後に、幼馴染の家でお別れ会をしてもらった。馬鹿なので女の子の幼馴染からさよならとお元気での手紙をもらって喜んだり、男友達とはまた遊ぼうと言ってはしゃいでいた。
こうやって、また一つ居場所を畳んだのだけれど、友情を確かめ合ったような高揚感の内に終えられたのは良かったのかもしれない。

捻くれ者なので、家から出た帰りの道中に、その高揚感は一時のものだと気づいてしまい、浮かれて走る足が思わず止まったのも覚えている。
少し立ち尽くした後きちんと歩いて家に帰った。多分、外が暗かったからそうすることしかできなかったのだと思う。

今思えば、そうできて良かったのだろう。それが最後の帰宅だった。その後はもう覚えてなくて、翌朝の引っ越しの風景が頭に浮かぶ。同居人に黙っていたため、その人たちが絶句していたのは覚えている。

とまぁ、もう10年も以上前の話なのに、ぼんやりと思い返すだけでこれぐらいその時の心境が蘇ってくる。これ、毎年やってるからお腹いっぱいなんだけれども、未だに慣れないしもう飽き飽きしている。複雑な感情が未だに残っている。

と言うわけで、僕にとって忘れられない日を回想してみた。少し語ってみたかったんだ。
今更何にもならないけど、もしそうであるならば、何にもならないものにしたかった。
そうではなくて、何かになるものならば、それが何なのか知りたかった。
つまり、忘れられない日でなくなってしまえばいいと思ってしまった。他の日にしたかった。

そんな訳で、n年ものの拗らせを書き殴ってみた。
書いてみると、思ったより自分の気持ちが書けてスッキリした。知らぬ間に一定の答えには辿り着けていたらしい。
あるいは、それができていたから書く気になったのか。
どっちにしても、これを書くことは僕にとって意味があることだった。それで満足である。

明日の始業の鐘も近づいてきていて、外も暗いのでここらで現実に帰ろうと思う。

10/6  そこの

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