私の家族の話
私の家族の話。
時々、コップから水があふれてしまうように、どうしようもなく辛い、何もしたくない、となってしまうことがある。
今がその状況で、今思っていることをどこかに吐き出さないと、また溜まって次の落ち込み期の養分となってしまうと思った。
なので、拙い文だけどnoteに吐き出すことにした。
母
・老人性鬱もしくは軽度認知症(私が勝手にそう思っている)
・なおらない浪費癖(過去に1度警察のお世話になるほどのもの)
・汚部屋(これに関しては父が家事を手伝わないことも一因していると思う)
父
・かなり短気
・かなり乱暴な言葉遣い
書いていて辛くなってきたので一旦これくらいにしておく。
父に関しては、今思えばあれは家庭内暴力だったんだと思える程度のしつけを受けてきた。
ただ、実家を出ている今はもちろんそんなこともないし、大人になって多少しっかりした私に対し
腹を立て罵声を浴びせるなんてこともなくなった。
しかし、問題は母の方である。
1つ目に書いた「老人性鬱」(もしくは認知症)
母がおかしくなったのは、私の奨学金を母が使い込んていることが発覚したあたり。
母は、私が気づきかなり強い言葉で問い詰めるまでこのことを隠そうとしていた。何なら「使ってない!!」と逆切れまでしていた。
つまり、自分が使った大金を私に支払わせようとしていた。
親にそんな風に扱われるなんて、さすがに思っていなかった。
発覚したときは、かなり精神的にやられた。
恥ずかしくて友達にも相談できなかった。
更に私のことを追い詰めたのは、
母が奨学金を何に使ったのかハッキリとは言わないこと。
私が「謝れよ!!!」と強く詰めた時に、ようやく嫌々謝ったこと。
私の母を見る目は、この一件以降変わったと思う。
私は、母に冷たくなった。
私は、母へのあたりが強くなった。
元々強迫性障害気味だった母に、さらに拍車をかけてしまったのは私かもしれない。
そうして、母の様子はどんどん変わっていき、物忘れが増え、飲酒量が増え、体重も増えた。
比例して、睡眠時間は減り、活力も減り、常に眠たそうにしている。
この間は、実家へ様子を見に行くと茶の間で電気もテレビもつけず、一人でボーっとしていた。
さすがに、この様子はかなりこたえた。
私のせいなんだろうか。
私が母をこんな風にしてしまったんだろうか。
でも私が母から受けた仕打ちは…。
昔、母から「強迫性障害」と診断を受けた、と言われたことがある。
その時まだ私は子供で、強迫性障害がどんなものなのか理解していなかった。
そして、そんなものは母の思い込み、都合の良い診断名なんだと思った。
寄り添い理解してあげられなかった。私以外の家族も全員。
母には味方がいなかった。
その時から、母の病気の進行は始まっていたのかもしれない。
私に今できることは、時々様子を見に行って話相手になること。
私が実家に行っても眠ってしまうけども。
ただ、もうそれだけではいけないんだと、茶の間でボーっとする母を見て思った。
心療内科に数十年通っているが、何もよくなっていない。
恐らく、母は主治医に平気なフリをしている。
何も本当のことを話していない。
何も問題がないように装っているのだと思う。
私は、母が通っている心療内科に別で予約を取り1人で向い、母の今の様子を正確に伝えなければならない。
母への不信感は殺して。
昔、実家を出るときに「あんたは幸せになりなね」と母から言葉をかけてもらった。
この言葉の重みを理解しなければならない。この言葉は、私のお守りになっている。
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