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芹沢あさひ観察日記1 〜W.I.N.G.編〜

大前提として、我々グリクシスは「勝利」が至上目標であると言える。

はじめに本稿における「勝利」を次のように定義してみたい。
『対戦相手に負けを認めてもらうこと』

とすると、
①どうやって"対戦"に持ち込むのか?
②どうしたら"負け"になるのか?
③どうしたら「ハイハイ、ウチの負けでいいです」とならずに済むのか?(端的に、ゲーム放棄されずに済むのか?)

いろいろと根本的な疑問が湧いてくると思うが、適宜思い出させるのでひとまず忘れておいて欲しい。

シナリオ冒頭では「模倣」に秀でるシーンが映し出され、スカウトのきっかけとなる

さっそく「①どうやって対戦に持ち込むのか?」についてだが、これは「相手が(なんとなく)やってることと同じことをする」に尽きる。
「こちらは意識的に実践し、(可能ならブラッシュアップして)より大きな結果を出すこと」が、負けを認めさせる最善手のひとつである。

もちろんこれは仮想ゲーム上の勝利にすぎず、その敗北から直接「何らかの負債」の返済に話を繋げていく現代的な誤りとは特に関係がない。
あるゲームでの勝利が別のゲームでの強制服従を意味するような事態は本来そう起こらないのだが、そういった勝利観になぜか親しい連中にとっては「相手に勝つことそのものが報酬」という生き物が脅威に見えるのも致し方ない。

「なぜ勝てるのに支配をしないのか?」

こういった問いへの有効な回答のひとつは、上記した以外に「管理コストが安く感じられないから」というのもある。勝った後のことなど、我々の報酬系にとってはどうでもいいことだ。

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「急にどうしたんだ?」

「こちらは意識的に実践し、(可能ならブラッシュアップして)より大きな結果を出すこと」が典型的な目標のあり方とするなら、「結果が出るまでお礼が言えない」のもやはり独特の挙動として立ち現れてくる。価値の重きを「結果」に置いていることが、三次審査コミュからは見て取れる。

赤っぽい言い方をするなら、我々にとって感謝とは「スタッフロール」のことを指す。作品が完成しなければ、そもそも感謝どころの話ではない。

結果で報い、エンディングまで謝辞は我慢

(23/04/02)

次回


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