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吐き出し

もうすぐまる4年。逝ってしまった息子のUSBの中を、あの時も見たはずなのに、今日になって見つけた、題名が息子の誕生日のファイル。
お世話になった人からはじまり、友達だと思っている人とかずらずらと書き並べられている名前らと、思い出が箇条書きしてあった。そんなことあったんだ。そうなんだ。息子らしい文字の並び。
日付を見たら、わたしの父が他界したすぐあとの、逝く日の6ヶ月前だった。このころから考えていたのだろうか。おじいちゃんの死をキッカケに色々思うことがあったのか。
愛する者を失うことは悔やまれることばかりわいてくる。もっと一緒にいればよかった。今思えば子供にとって恥ずかしくない親になろうとカッコつけていたな。心配してないフリしたり、会いに行きたくてもウザいかなとか。。。とか。。そんな態度が息子を孤独にさせていたのかもしれない。
かあさんの子でよかったなんて、気の利いたことを言う息子で、思いやりがあって誰の子だろう?って思うくらい、ものすごくいい子だった。なのになのに
本当は生き辛かったんだね。生き辛いのは、かあさんも同じだったんだよ。カッコつけずに、みっともないかあさんでいればよかった。
悔やんでも悔やみきれない。。息子の選択を否定はしないけれど、わたしは愛する人を素直に愛することをこれから後悔しないようにしていこう。

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