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05.昔はどんな子供だったか

所謂“優等生”。
学級委員を何度もやってて勉強出来て…スポーツは出来なかったけど、先生の覚えも良くて、ルールは守ってダメなことはダメと主張するような。

でも根拠のない自信に溢れていて、クソ生意気だった。…逆かな?自信がなかったから虚勢張っていたのかも。

運動以外大抵のことはやり方教えて貰えれば&やってみれば出来たけど、“やれば出来ること&出来そうなことしかやらなかった”だけかもしれない。
やったことは出来てるから“出来る子”扱いされて、「出来ない」って言葉にすること・相手に思われることに抵抗が生まれて、「出来て当たり前です」みたいなしれっとした顔をしていた。
要領が良いと言うか器用貧乏と言うか。
プライドが高いんだよな無駄に。今もだけど。

友達作るのは下手くそでした。
幼稚園のときは近所の子ともクラスの子とも分け隔てなく遊んでいた記憶があるから、小学校で躓いたのかな。
入学と同時に引っ越ししたんですよね。で、よく知らん土地で入った学校は人数少ない上に幼稚園・保育園ごとのグループが幾つか固まっててね。
どう過ごしていたかまでは覚えてないですが、5月にあった遠足をね、祖父の葬儀でお休みして。行き来にも時間かかるし田舎だから確か数日帰省してたんですよね。
それが済んで戻って来たらもう仲良しグループ出来ちゃってんの。それまでの幼稚園・保育園関係なく。
別に仲間外れにされたとかぼっちだった訳でもないんですが、うっすら壁と言うか違和感と言うか疎外感?…こちらが勝手にあると思っていただけかもしれませんが。仲良くしてくれてたし皆。

それでもって、通っていた小学校は3年生・5年生になるときにクラス替えがあったんですよね。
3年生になって、また遠足のタイミングだったかな?なる前の春休みだったかも?その頃に公園の雲梯から落ちて左腕を骨折しまして。運動音痴なので。
休んではなかったと思うんですけど、多分身の回りのことを助けてくれようとする周りに対し、気遣わせてしまい申し訳ないと自分から「大丈夫だよー」って遠ざけちゃったんだろうな。
そんなんだからまた上手く友達出来なくて。

「出来る」って見栄を張るのもこの頃からかも?…いや、「わたしできるもん!」で勝手に迷子になってたの幼稚園だから元からか。それに拍車が掛かったんでしょう。

それでもって、4年生から学級委員やら委員会の制度が始まるんですけど、皆学級委員やりたがらないから立候補して、学級委員として過ごしていたら頼る・頼られるの構図が段々出来て優等生みたいになって。
もう鼻で笑っちゃうんですが、小4の1・3学期、小5の2学期、小6の1・3学期、序でにほぼ持ち上がりの中学でも全学年前期・後期のどちらか1回は学級委員やってたの。アホでしょ。
これ多分「皆がやりたがらないから」とか「私ならやってたから・出来るから」とか思ってたけど、きっと役割を演じてれば輪の中に入れていたからなんだろうなーって。

一応ね、アニメ・漫画好きって共通点もあって親友って呼べる子も一人居たんですけどね。色々私が拗らせたせいで高校のときに仲違い…怒らせただろうし失望させたのかな。
機会があればその辺りもそのうち書くかもしれませんが今回は省略。

そんな感じで立派なコミュ障に育ちましたとさ。ちゃんちゃん。

まぁ、そんな私から皆様に言えることは、
クラス替えとか仲良くなるきっかけのイベントは休まない方がいいですよってこと。
ご自身でも、あなたのお子様でも。

私1学年2クラスの少人数小・中学校から、1学年18クラスもあるマンモス高校に一人で通ったときも1年生のオリエンテーリング(泊まりで旅行ぽいけど進路相談やら性格診断やらをメインで行う行事)休んだので。
その後も、登校拒否したり修学旅行ボイコットしたり、場面場面で悉くやらかしてるんですよ。
そんな私からのお墨付き。

人付き合いって若いうちに色々経験しておかないと、大人になってほんっっっとうに苦労するんですよ。
失敗が許されやすい若いうちに失敗しといた方が良いと思いますわ。


このときはここで終わってたんですが、投稿するために読み返していて追記。

立場や役割に自分を重ねると、それらがなくなったとき自分の価値までそれらに持ってかれたような感覚になって自己肯定感下がるから気を付けましょう
…と言うのも経験談です。


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