投げ槍ではない他力本願
「安心・安全」って言葉、ほとんど意味を伴わない程よく聞く言葉で、もう、ただの音になっていませんか?
「安心・安全」ってどういう意味でしたっけ?
世の中、物事は常に移り変わります。人も歳を取ります。体の機能は衰えます。そして、いつも、仕事や人間関係はなかなかうまくいかないと思っています。
ところが、年を取らない人はいませんし、毎年若返る人もいません。仕事も人間関係も上手くいくときもあれば、上手くいかないときもあるのは、普通です。悩むことの中にいれる程のことではないんだなと。
工芸品の制作でよく参考にしているのは骨董品です。骨董品のよさはその古さ、キズや汚れ、朽ちていく過程を感じさせる欠けや割れ。そこに渋味や風格を感じます。
これが自分自身のこととなるとすべてマイナス面となってしまうのは、なぜなんでしょうか?
自分の中のどこかに欠点があり、それが、いろいろな問題を引き寄せていると、なんとなく、何の疑いもなくそう思ってしまっていることがあります。
このマイナス面のプラス面に気づくこと。マイナス面のプラス面を骨董品だけでなく自分自身にも当てはめてみること。歳をとることや体の機能が衰えることを骨董品を楽しむように自分に当てはめてみれば、ずいぶん気持ちが楽になります。以前は簡単にできたことが、できなくなる。それを味わってみること。それと一緒にいること。あっちいっててって、言わないことです。
自分の中にある安心の感覚にスイッチが入ってしまうと、もう、どうなっても、大丈夫!というか、なげやりではない他力本願!自分にできることなんて、ほぼない!って感じの潔さ、気楽さ。不自由であるという自由をつかみます。
上手くいくときは、上手くいくし、上手くいかないときは、上手くいかない!それだけっていう感覚でいたら、「安心・安全」って言葉が深い意味を伴って甦ってきました。
峠をわらじを履いてゆっくり歩きます。地面の湿り具合を楽しみます。沢の音、虫の音に気づきながら、たっぷり歩いて、ほどよく疲れて、眠ります。意識が落ちるとそこにはただ安心と安全だけが残っている感覚です。
受け入れてはいけないと思っていたものを受け入れたときの風景。
捨ててはいけないと思っていたものを捨てたときの解放感。
自分にできることなんてほぼない!っていう立ち位置からしかできないことがあるという発見です。
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