見出し画像

安心感とか。

日々、木工小物の制作をしています。
ツグミ工芸舎のsoiです。

作業中、ときどき、この仕事をすることに決めたのは本当に自分だろうかと思うときがあります。(じゃ、だれ?)

作品を作っているとき、そこには作ることが起きています。作ることが起きているという表現を使うのは次のような感覚からです。

理由はわからないけど木工を始めた自分がいて、毎日、木を加工する時間が流れています。作っている自分と加工されている素材との境い目が消える感じは、
自分が素材を加工しているのか?
素材が加工されるために集まってきているのか?というどちらでもいいか!って感覚。

枝の葉を揺らす風が見えないように、木を加工する自分が消え、変化だけが現れている状態。それは晴れが曇りになったり、雨が降ったり止んだりすることとかわらない現象のように思えます。

なぜこの仕事を選んだんですか?とよく聞かれますが、自分が選んだのだろか?と思いつつも、工作が好きだからとか、山に材料がいっぱいあるからとか、家賃を払わないといけないからという理由は思い付きで、たぶん、自分がこの仕事をする条件が整ったためにそうしているというのが答えにならない答えです。

お伝えしたいたいことは、自動運転の車に乗っていれば運転しなくても目的地に着くような感覚のことです。目的地に着くまでのんびり音楽を聴いたり、本を読んだりできるように、リラックスして、自動運転の車に乗っているような気分で仕事ができるという心の状態のことを話しています。努力をしたり、失敗したりすることもひっくるめて、安心していられる。リラックスしながら仕事ができるので、うまくいかなかったとしても、そのこと自体を楽しめている自分がいる。結果を期待しない作業はのんびりしていて結果的にとても丁寧な作業になるように思います。うまくいってもいかなくてもどちらにも充実感が起きてくるようになります。

自分でも分かりにくいメッセージを書きましたが、こんな文章でも、自分を飛び越えて伝わる人には伝わってしまう不思議。それは木工品の制作も何かがsoiというフィルターを利用して、メッセージを皆さんに伝えている、それだけのことなのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?