How do you live?

※FBへの投稿の再掲

ー上野氏の祝辞を読んでの雑感ー

「フェミニズムっていつ成就するんだろう. そもそもフェミニストたちはどのスパンで意識改革を成し遂げようと考えているんだろう. 」

この春に卒業した母校の, 入学式での祝辞を読んですぐに感じた疑問です.

少なくとも女性学は上野氏の言葉を借りれば"弱者が弱者であることを尊重されることを求める思想"の上に成り立っており, その抽象性についてはこれまでにも指摘されてきたのだと思います.
ヒトに根付いた意識を変えるには思想の流布(ソフト面)だけではなくて, 新たな社会システムの構築もしくはドラスティックな施策(ハード面)を繰り出さないといけないだろうし, あるいはフェミニスト達が完全な世代交代が済むまで希求し続けていく覚悟を持って臨んでいるとしたらそれはもう感服の至りです. いや, 後者は確かにそうなのでしょう.

女性学が始まって40年経っているそうですが, 正直平成生まれの自分の中にもいわゆる男尊女卑的な思想が欠片ほどあることに目を瞑ることはできません. それを僕がメタ的に自覚できていること自体は, これまでのフェミニズム運動の成果の賜物なのかもしれません.

僕が親になった時, ナイーブな子供達の思想の源泉となるのは, 僕や奥さんの思想言動がほとんどなのは言うまでもありません. この忌まわしき連鎖を断ち切るためにいま自分ができることは何なのでしょうか.
フェミニスト達の主張を聞くたびに納得はできる(100%ではない)けれども, 具体的に何をどうすれば良いか, 聞こえてくることは少ないように感じます. (上野氏の式辞でも意見の主張に留まっていました. しかしてあの場が具体策の提言を求められていた場ではないのでそこを指摘することはナンセンスではあるのですが)

改めて, この多様性の叫ばれる時代に, 社会の中の一人として歩みだしたこのちっぽけな自分に, 一体何ができるのか, 考え続けていきたい, できることなら何か行動に移したいと思えた良い機会でした.

フェミニズムや女性学にほとんど知識がないので稚拙な思考となっている部分も多々あると思いますが, 生物学に努めていたことや教育系の学生団体でこの問題について触れる機会があった背景から, 性に関する考えは自分なりに普段から頭の片隅を占めていました.

忌憚ないご意見, ご鞭撻, よろしくお願いします。

以下、コメントと対応

>メタ認知できてる人が女性の中にもほぼいないからグローバルに出た女性しか声を上げられず結果残念ながらウザがられる感あるよね。
でも何も知らない人はそれはそれで幸せと考えるとここれを変えることは正義なのかって哲学論考に俺はいつも入ってしまう。

回答
幸せな人がいる裏で不幸に感じてる人もいるというトレードオフ的状態に陥らせないことは正義な気もする.
この問題はその状態にあると考えて良さそう.

>男尊女卑的思考というテンプレートの中で生きるのって、ある意味構造的には宗教的教義の中に生きるのに近い気がする。
その是非は置いておいて。
こう生きれば幸せというテンプレートを心に持って生きるのは、思考を止められるから楽で、だからこそ多くの人はそこに流れついてしまう部分もあるのかなと。
一から自分で考えて、自分で人生を作っていくというしんどい思いをしたい人なんて、ごくごく一部なのかなと。
男女平等社会における検量線を引いてあげて、そこに人々が乗るようになれば、男尊女卑的思考の呪縛から人々は解き放たれ、男女平等社会における新たな検量線の上で人々は新しいルールのゲームに生きるようになるのかも。

回答
男女平等社会における新たな検量線をいかに引くか。が具体的に考えるべきポイントよね。
マクロ的には国がやるのか、民間がやるのか。ミクロで個人ができることはなんなのか。

>確かに、ハード面の問題があまりに多いし、且つ自分たちがこの場合マイノリティとしての視点を持ち合わせてないから、個人が取れる具体的な行動が分かりづらいと感じるのかもしれない。
だからこそ今宗一郎が考える男女平等な社会のための行動って例えば何があるのか気になるなあ。あと、そこに『怒り』はあるのかも気になる。
僕自身フェミニストとして、性暴力問題に特化して活動をしてきたので、次会うとき話したいね〜

回答
男女平等って一見フィフティフィフティに見えて, 実のところかなり難しいバランスの上に成り立つものだと思っていて. それは例えば身体的な特徴の違いであったり, それぞれの性格の違いがであったりがファクターになってくると思う.
それらに対して一つ一つ自身の行動を律していくことが必要なんだろうなとは現時点で考えている. ただそこの無限性も同時に理解していて, だからこそ自身が行動するときの演繹的な思想を早く確立していかないとなとも考えている. 恐らくフェミニズムが訴求できる部分は後者なのかなと.
つまり, 自分が今すぐできることはフェミニスト達の主張を包括的に勉強して, 自分の中で行動の核となる思考のベースを作り上げることなのかな.
怒りについては, 一つ一つの事例, 例えば最近ニュースになっていた父娘のレイプが無罪になった件に対しての自分の感情としては, もちろん怒りに近いものはあるとは思うけど, 自身のこれまでの人生の経験上, 怒りによって物事が良い方向に解決した試しがないから, その感情を行動理由にしたくないっていうのがあって. あくまで冷静に, 俯瞰的に捉えていたいというのがある.

上に対する回答
『公平』と『平等』の差だね。確かに身体的差異とかを考慮すべきだし、その場合男女平等というよりは、男女公平と呼ぶ方が正しいのかもしれないね。
そうだね、まずは自分の行動を変えるために、平等を目指すフェミニズムを学んだ上で、声を拾い上げるっていう姿勢はすごい大事だなって思う。独り善がりにならないよね。
あくまで怒りで動かないっていうのが、面白いね。俺は、むしろフェミニズムに限らず人権問題を考えるときは怒りは持ちたいとおもってる。
自分たちがマジョリティの場合マイノリティへの共感を示す方法にもなるし、行動を人に促す時のstory of self(or us)の中に怒りは必要だと思うから。もちろん俯瞰して捉えることとの両立ができないと逆差別を引き起こしかねないんだけど。

>社会の上層でさまざまな恩恵を受けている者として、男性という社会的強者として、すなわち社会を変える力を持つ者しての役割を再認識した良い機会になった。
んで、実際僕らが何をすべきなのかというとめちゃくちゃ難しい。何故なら、社会を良い方向 (良いの定義はおいといて) に持っていくことはすなわち自分が強者として享受しているメリットを捨てることだから。
でも、その中で僕が大事にしたいのは「個人的なことは政治的なこと」の言葉。つまり、個人の精神性や行い (男性として無駄に存在感を出したり主導権を握る) が男女間に波及し (女性との会話ややり取り、特に、男女の最も個人的なやり取りであるセックス) 、それが家族になり (男性主導の家族) 、職場、社会へと広まっていく。そうして文化は作られていくのであって、個人の言動一つ一つが政治的な意味を持っているということを僕らは忘れてはならないと思うんだ。その上で日々の言動に気を払えば、少しずつ社会が変わっていくんじゃ無いかな。少なくとも「家族」という小さい社会では。

回答
「ノブレスオブリージュに潜む葛藤」といった具合か.
確かに古いレジームの中に留まった状態で, 新たな価値観に身を投じれば, 「メリットを捨てる」ことになりうるけど, その新たな価値観に突入するときに自分の心の中に旧世代の考えを残さないように準備をすれば, メリットを捨てると言う概念が薄まった(ゼロにできるとは思わない)状態にはできると思うんだ.
その"準備"は, 現在までのフェミニズム運動をきちんと勉強して, 声を汲み上げて, 自分の中に新しい価値観の下地(検量線とも言い換えられるか)を作ろうとすることだと思う.
その上で, まさに嵩の言う通り, 個人的なことは政治的なこと(これフェミニズム運動の文脈での言葉だったんだ知らなかった)を常に意識していたい.
あるいは自ら率先して切り開いていくことで"メリットを捨てる"という視座から降りれる可能性もある.

上に対する回答
確かにそうだね、自分が率先して軸のベクトル自体を変えていけば、t-1時点の行いもマイナスにならないのか. 移行時に瞬間的に失われるものがあろうとも、その後軸を変えることによる報酬の方が大きいと。
もちろん、社会に飲まれないよう、あらかじめステレオタイプとは逆方向の教材 (女性ヒーローもの等) を準備するのも一つの手だと思う。

>ある概念について深い注意力を持つこと自体、ある意味差別であり偏見だと思っている。ほんとはそんな概念は存在しなくて、目の前の一人、個人個人の中にある感情と背景にまっすぐに向き合って、概念ではなく出会ったその人に気をつけるべきだと思う。

回答
その一人一人に向き合うときに, 自分の中でベースとなる思考がきちんとアップデートされずに今のままだと人を傷つけてしまうだろうなという危機感があって. だからこそ概念をきちんと知って, できるだけ多くの声を聞いて, 自然な行動として表れるレベルまで自分の中に落とし込みたい, という思いが今ある!

>いろいろ考えている、その時点で本当にありがたい!ものの、まず必要なのは今日、今、席を立つ瞬間からの心の入った言動では?その上に論理を築けるのでは、と。アライ(協賛者?ally) 大事で、協賛者であることは論理はさておき日々の言動から初めて見えると思う

>「フェミニズムっていつ成就するんだろう. そもそもフェミニストたちはどのスパンで意識改革を成し遂げようと考えているんだろう. 」
卑怯なことわり方をしてしまうと、僕は知人との距離感が面倒くさいので(どうせなら知らないでいたいやって)あんまりパブリックに語りを避けてしまうんだけど(学んできた者の態度としてはほんとブッブーで割とコンプレックスな態度)だかた、こうしてメッセなんだけど。
だからまあ、正直、コメント欄見て、うげ〜〜〜って思っちゃうけど、うげ〜〜〜って思った先にもカンバセーションは生まれるから、事実その先のコミュニケーションのためにはうげ〜〜〜しないといけないんだけど、って思ったっていうのがまずでほんとそれしちゃってる自分がうげ〜〜〜なんだけども。
まず、そういちろうの言葉のはじまりについて。
「フェミニズムっていつ成就するんだろう. そもそもフェミニストたちはどのスパンで意識改革を成し遂げようと考えているんだろう. 」
僕の思うフェミニズムは究極的には終わらないと思うよ。もちろん、その難しさもあるけど、フェミニズムの大きなゴールはあったとしても、個々のゴールはひとつじゃないし、それ以上にIntersectionalityっていう概念があって、フェミニズムはフェミニズムだけのゴールを目指しているわけではないと僕は思っているから。
あと、”フェミニストたち”の”たち”にも同じことが言えるね。
それど、Are You Feminist? When do people become feminists?って感じかな〜〜
僕に言わせりゃ、あのポストをした時点、いや、あの祝辞を読んで思考し行動した時点、もっと遡れば生活の中で女性や男性を強調されて報道される事柄や、人々の生き方に注視している時点である意味では、”フェミニスト”だと思うんだよね。
だから、対岸の”フェミニストたち”と、”(フェミニストではない)わたしたち(あるいは)わたし”の差はなんなんだろうね。
だからこそ、”フェミニストたち”だけがアクターであり、それを遂行すべき唯一の人々ではないと思うんだよね。だからこそ、”連帯”が必要とされてきたわけだし。これは、人々との連帯だもあるし、”フェミニズム”と手を取り合ってきたあらゆるイデオロギーとのだけど。
フェミニストたちの語りに納得はできる、だが、具体的に何をすれば良いかは聞こえてこない。それはそうかもしれないね。性(Gendar/Sex)のアイデンティファイの仕方がそれこそ千差万別な時代で、ひとつの大きな行動としての解はないだろうから。だけど、僕たちが進むべき方向は少なくとも、フェミニストたちの語りは滲み出てきていると思うんだ。
それこそ、上野さんの言葉を引用すれば、ーー大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。ーー
すでに、このメタ知識を有しているのは、そういちろうという人となりとそういちろうが残した文章からは明らかで。
そして、具体的に何をどうすればというところでいくと、そういちろうはその行動の先を”日常”に求めているようにも読めて、素直にすごいなあと思ったし、それ以前に、このポストという具体的な行動は、上野さんの意識されていたメッセージのメタ的受容のひとつだったと思うなあ。
とかゆって、掻い摘みながらで全然胸をはれるようなものではないけど、ICUでのGender/Sexuality Majorの僕なんかより、そういちろうはよっぽど社会と対峙/対話していると思って、反省ともっかいちゃんと勉強しなきゃって思った〜〜〜


以上

So-ro


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