力あるクライマーのために常にルートはオープンにしてゆくべきだ

以下、「恵那・笠置山開拓で考えた6つのこと」に関連する拙稿・「力あるクライマーのために常にルートはオープンにしてゆくべきだ」(『岩と雪』151号)です。

ルートは誰のものか 東海地方の開拓仁義

今回のルートは誰のものかという問題は、開拓から初登までの利用はどうあるべきか、すなわち、”ルート開拓の仁義”を問うものと認識している。そこで、この機会にわたしたちの仁義ー愛知流ーを紹介させていただこうと思う。この流儀は瑞浪屏風山・豊田・石巻山開拓の過程で形成された伝統的流儀である。その原則はおおむね次のようだ。

➀岩は、そこにトライしたい全てのクライマーに常に平等に公開する。もちろん初登前であっても。
➁新しい岩場・試登ルートの情報は、それを知りたいクライマーに快く公開する。

そんなわけで、クライマーはトライをしたければ朝一番に出かけて行けば良い。もちろん後から挑戦者が現れれば仲よくかわりばんこにトライすることになる。このルートは○○さんのやっているルートだからと遠慮することはまずない。試登者の側も、その辺は諦めているのか、地元クライマーによるルートの囲い込み現象(張り紙・ロープの固定・ハンガーはずし・脅し)は観察されなかった。

ボルトが打たれた瞬間からそれは公開プロジェクト

極端に言えば、この地方では、たとえ掃除中であってもそこは万人のトップロープ課題であり、ボルトが打たれた瞬間からそれは公開されたリード課題である。

したがって、初登したければ毎日のように出かけて行くしかない。しかし、仕事がという人もいるだろう。でもどうしても初登したければ仕事は辞めればいい。

また、うまい奴に横取りされると思う人もいるだろう。でも、それは悔しいけれどもやむを得ない。自分がもっとうまくなればいい。
各人に濃淡はあると思うが基本的な考え方はそんなところだ。

第一、皆の情けにすかって形だけの初登をするより、何人もがトライし敗退した△△ルートを○○が初登というフレーズの方がはるかにかっこいい。「登られちまったらひと晩泣いて酒でも飲んで出なおそうや」、そんなところか。

どうしても欲しければ、奪えばいい。

このあたりの機微は恋愛にたとえるとよくわかる。昔ー10年も前のことだがー好きになった女性がいてずいぶんと悩んだことがあった。しかし、友人の的確な忠告でこの苦悩は速やかに解消された。どうしても欲しければ、奪えばいい。けだし、名言であるとわたしは思った。で、素直なわたしはむろんそうした。もっとも因果は巡り一年ほどして彼女は他の男性のところへ行ってしまったが・・・。わたしが愛知流をすんなり受け入れられたのはこの経験と無縁ではないと思う。
 
これまでの8年間、わたしは試登中のルートでも「やってもいい?」と言われれば「どうぞ」と言ってきた(内心はともかく)。岩場の情報も聞かれなくてもすべて提供してきた。もちろん、これからだってそうするだろう。

愛知流ーもちろん欠点もあるーは、この地方のルートの質と量に大きく貢献したと思う。もし東海山岳会がイヴを独占していたら、もし三品氏がカンノンクラックを公開しなかったら、もしわたしたちが鳳来湖周辺の目ぼしいルートを囲い込んでしまっていたら、わたしたちのクライミングは停滞したままだったに違いない。選択は間違っていなかった。

岩の少ない日本はこれからルートの枯渇に苦しまなければならない。とくに高難度ルートは貴重な資源となるだろう。それらのルートを常にオープンにしてゆかなければ、この国はいつまでたっても三流のままだ。力あるクライマーが義理と人情に縛られて、何ヶ月も指をくわえて初登を待たねばならないような状況は避けるべきである。

ご購入ありがとうございます。クライミングの論考や東海地方の岩場情報を引き続き掲載してゆくつもりです。よろしくお願い申し上げます。