なぜ教師は子どもたちに万歳させるのか?

オカシイがいっぱい

先日運動会が無事終わりました。コロナ禍での運動会は、時間短縮、競技を減らす、保護者の来校制限などさまざまイレギュラーな面がありましたが、その中でも子どもたちの頑張りや喜びが見れたことはよかった。

今回の運動会で特にオカシイと思ったことは、優勝した組が発表されると、子どもたちみんなで万歳三唱すること。しかも万歳の練習もします。詳しくはよくわかりませんが、万歳って戦争のときにしていたことというイメージがあります。優勝した組の子どもたちは嬉しくて喜びを爆発させます、しかしそれを教員が制して、みんなの手の高さが綺麗に揃った万歳をするよう指導します。なぜ???

思考停止している教員たち

運動会練習から感じていましたが、ブラック校則と呼ばれるものを始めとして、学校には様々なオカシイ慣例がたくさんあります。皆さんも子どもの頃は「どうしてこんなことで怒られなければならないんだ」「大人はいいのになんで」と思ったことがあったと思います。

体操座りで座りなさい。

体育着のシャツをしまいなさい。

腕を振って、膝を高くあげて、みんなで揃えて行進しなさい。

なぜ????明確な理由を説明できる教員が果たしてどれだけいるのでしょうか。「ルールだから」「伝統だから」「集団行動の大切さを」と、太古の昔から使い古された言葉で子どもたちに言い聞かせ、それになんの疑問も持たず指導することが使命だと思っている教員。「大人になってなにか意味があるの?」そんなことを聞いてくる子どもは生意気で許しません。

こんなんでいいんでしょうか。

「人の悪口を言ってはいけません。」これはその通りだと思います。だけど大人はどうでしょうか。みんな陰でこそこそ、SNSにポチポチ、本人に聞こえないように悪口を言っています。その点子どもは面と向かって「ばか!」と。こっちの方がよっぽど健全だと思います。

オカシイと思っているけど言えない、というのならまだいいと思います。しかし僕の感覚としては、オカシイとすら思っていない教員がほとんど。なんなら、こんなことを言う僕の方が白い目で見られているくらいです。

オンライン授業が進まないことなど、このところ学校の時代遅れ感が話題になっていますが、学校はこの先何十年も変わらないと思います。行政のせいではありません。原因は思考停止している教員です。


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