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「人を敵と味方に分ける」という快楽【暗黒欲求シリーズその3】

当「暗黒欲求シリーズ」は、人々が日常生活において無自覚に追い求め無自覚に発散している、見えない欲求――暗黒欲求――について論じる。暗黒欲求という観点は個人的なものから社会全般に至るまで様々なスケールの問題を俯瞰することを可能にし、日常生活を阻害する不要な怒りや恐怖、無用な苦悩や抑うつを退けるヒントを与えてくれる。暗黒欲求は自覚が一般に困難であるが、ひとたび自覚すれば人々は全て暗黒欲求という仕組みの深さに基づいていることになり、巷に蔓延る不毛な争いが全て暗黒オナニーであることを明らかにする。

注意として、当シリーズは非科学的である。どれくらい非科学的かというと、フロイトの精神分析学と同じくらい非科学的である。用いられる仮定に反証可能性は殆ど無く、あらゆることに適用できて全てを説明できてしまう点でも真理の主張としての価値が全くない。当シリーズは真理の探究を目指す科学とは目的を異にしており、この点について全く気にしないことにする。人間の安心や平穏に必要なのは真理ではなく納得である。

第三回の今回は集団間の争いの根源となる「人を敵と味方に分けたい」という暗黒欲求について考察する。


母ちゃんが言うにはそいつ菊の紋章の街宣車乗ってんねん。

ほな右翼とちゃうか?

でもそいつ「アベ辞めろ」てプラカード持ってるらしいで。

ほな右翼とちゃうか~。

政治、思想、主義、嗜好、性別、宗教、民族、国籍、さまざまな性質によって人間は分類される。自分自身もまたどれに属するか分類される。ただ分類するだけなら、それは物事を認識するための基本的行為に過ぎない。世界に水平線を引くことによって人が海と空を認識するように。あるいは鳥居を立てることで神社の内と外を認識するように。しかし人間についての分類となると、途端にとある暗黒欲求が顔を出す。人についての分類を行う時に限り、人は「自分の属する側」と「属さない側」に異常なまでの意味を見出そうとする。属する側に味方という意味を、属さない側に敵という意味を持たせた瞬間、人間は巨大な快楽を感じているのである。これが今回取り扱う第三の暗黒欲求、「人を敵と味方に分ける」という快楽である。

人を敵と味方に分けた際に発生する快楽は、人を見下す快楽に連続的に繋がる。右翼が左翼の馬鹿な発言を見下して笑い、左翼が右翼の阿保な発言を指さして笑う様子を想像すればわかるだろう。政治的主張をする際、わざわざ自分が右であるか左であるか宣言する人間が居るのはなぜかと言えば、人を敵と味方に分けた時の快楽とともに、自分の立ち位置を作り出し相手を見下すオーガズムを感じることができるからである。

いくつかの例を通して、「人を敵と味方に分けたい」という暗黒欲求のために発生してしまっている問題について見ていこう。


男女差別

男女差別は人類が克服すべき課題である。しかしその「暗黒」度合いは極めて深い。男女差別は慣習や常識の中にすっぽりと埋め込まれており、普段それを認識することは極めて難しい。加えて、自らが男女差別的行動をとってしまったときに、それを自覚できることもめったにない。この点で男女差別は極めて「暗黒」である。フェミニズムの活動やその反応に余計な怒りや衝動、炎上が付いて回るのは、フェミニズムがそうした人間の「無自覚」な部分に訴えかけているからである。無自覚にしていた行動や思考について指摘されると、基本的に人間はびっくりする。その衝動で「男と女」という分かりやすい構図を頭に思い浮かべてしまい、「人を敵と味方に分ける」という暗黒欲求が発動してしまう。男性は女性を、女性は男性をそれぞれ異なるものとして線引きすることで暗黒オナニーが始まってしまうのだ。

この暗黒欲求を乗り越えること。男女という分かりやすい線引きを行いたい衝動を抑えること。無自覚だったことを指摘されたときにびっくりする自分を宥めて、常識を改めて疑い、自分の行動を振り返り、一から考え直してみること。そうして初めて、男女差別についての議論のスタートラインに立つことができる。フェミニストの主張に対するする反応の多くは、このスタートラインに立てず、人を敵味方に分ける暗黒オナニー終始してしまっている。


シーシェパードとKKK

白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)は分かりやすい差別主義団体である。彼らは白人を味方、有色人種を敵として区別することで暗黒オナニーを実行している。

これと比較したいのが捕鯨の妨害に代表されるテロ行為を行っている団体、シーシェパードである。実はシーシェパードは二つの意味でKKKと同じ形式の差別主義的行動をしている。彼らの活動はKKKの延長にあると言ってもよい。KKKは白人とそれ以外という線引きによって快楽を得ているが、シーシェパードは(彼らの定義する)高等生物とそれ以外という線引きによって快楽を得ている。クジラを高等な生物と分類して、つまり「人間の味方」として分類し、それ以外の動物や魚類を差別しているのである。要するに、差別をする対象の線引きが平行移動しただけで、シーシェパードの活動はKKKの活動と同質なのだ。

同時にシーシェパードはもう一つの暗黒オナニーをしている。それは「クジラを保護する高尚な我々」と「クジラを食べる下等人種」という線引きに伴う快楽である。ひとたび「クジラを食べる下等人種」という敵を定義することができれば、それを攻撃することは全て暗黒オナニーとして成立する。彼らは海洋環境の保護を掲げているが、実際には彼らが通った後の海は暗黒オナニーによる暗黒精液まみれである。


起源

今回の暗黒欲求の起源を理解するのは容易い。人類が部族に分かれていた時代あるいは地域では、敵と味方を強く認識し、見方を守り敵を攻撃する快楽をより強く感じている集団が生き残り、他部族の人間に対する対処が甘い部族は淘汰される。その結果生き残ったのが、自分とは異質な人間を敵として区別することにオーガズムを感じる変態共の集まり、現代人である。

ここでも繰り返しておく:

人類が今存続している以上、この暗黒欲求は進化の過程で実装された仕様として受け入れるべきであり、時と場合によってはバグとして適切に対処されるべきである。大切なのはそのような仕様、バグが人間に備わっていることを我々がきちんと自覚することである。


第三回のまとめ

人を敵と味方に分けると気持ちいい。この事実を我々は認識すべきである。人々の行動、インターネット上の主張、政治的な活動、その根源にこの暗黒欲求が潜んでいないか疑ってみよう。社会に属する一人一人がこれを見抜く力を身に着けていれば、どれだけの無駄な言い争いを減らすことができるだろうか。インターネットから無駄な怒りを摂取するのを避けることができるだろうか。ひとたび目の前で起こっていることが暗黒オナニーだと分かれば、それが注目に値しないものだと判断を下すのは容易いことだ。

人を敵と味方に分ける暗黒欲求を克服し、暗黒オナニーをする手を止めよう。議論を行う際は、発言者が誰か、ではなく発言内容が何か、に集中しよう。世界に問題は山済みであり、それに向けて暗黒射精をしている暇はない。

最後にこの言葉で当シリーズを締めくくろう。


「暗黒欲求を認識できている俺たちは味方だよな!!」

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