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「私だけが知っている」という快楽【暗黒欲求シリーズその1】

当「暗黒欲求シリーズ」は、人々が日常生活において無自覚に追い求め無自覚に発散している、見えない欲求――暗黒欲求――について論じる。暗黒欲求という観点は個人的なものから社会全般に至るまで様々なスケールの問題を俯瞰することを可能にし、日常生活を阻害する不要な怒りや恐怖、無用な苦悩や抑うつを退けるヒントを与えてくれる。暗黒欲求は自覚が一般に困難であるが、ひとたび自覚すれば人々は全て暗黒欲求という仕組みの深さに基づいていることになり、巷に蔓延る不毛な争いが全て暗黒オナニーであることを明らかにする。

注意として、当シリーズは非科学的である。どれくらい非科学的かというと、フロイトの精神分析学と同じくらい非科学的である。用いられる仮定に反証可能性は殆ど無く、あらゆることに適用できて全てを説明できてしまう点でも真理の主張としての価値が全くない。当シリーズは真理の探究を目指す科学とは目的を異にしており、この点について全く気にしないことにする。人間の安心や平穏に必要なのは真理ではなく納得である。

話を戻して、第一回では「私だけが知っている」という言葉に代表される、自他の知識の非対称性を快楽として享受する暗黒欲求について考察する。


お前は知らないだろうけど

実は世の中はこうなってるんだぜ。こういう類の主張はそこら中に溢れている。例に漏れず、この記事もそれに該当する。そう主張する人間はたいてい得意げであるか、そうでなくとも画面の向こうでほくそ笑んでいる。やはり例に漏れず、私もそれに該当する。

この快楽、他人は知らなくて、自分は知っているという状況に覚える快楽は、ある暗黒欲求が満たされることから来ている。「私だけが知っていたい」という暗黒欲求である。

それは単なる知識欲、好奇心ではないのかと問われれば、私は「はい」と答える。しかし、暗黒だなんて大層な名前を付けるまでもなく人が知識欲や好奇心を持っているのは誰もが知っていることだろう、と言われれば、私は「いいえ」と答える。何故なら、そう主張した瞬間に貴方が満たした暗黒欲求を貴方が認識できているとは限らないからだ。

「それは知識欲って言うんだよ」そう教えてあげたいと思ったその感性の働きの根源にあるのが「私は知っているけどね」という暗黒欲求の発露なのだ、とその瞬間に自覚できないことを以って私はこの欲求に「暗黒」という名前を付けている。


陰謀論と知的探求

世の中に陰謀論が蔓延るのは、そして陰謀論を信じる人が居なくならないのは、まさに「私だけが知っている」という快楽が人を悦ばせるからである。知っている内容が真実であるかどうか、妥当であるかどうかは関係がない。世の中にはある物事を知っている人と知らない人が居て、自分はそのうち知っている側の人間であるという状況を人は快楽として摂取するのである。当人は気づいていないだけで、これは暗黒欲求に基づいたオナニーである。

この快楽は複数人で共有することができる。それが陰謀論者のコミュニティである。ここでコミュニティが閉鎖的であることは重要である。「知っている人」を制限することにより「私たちだけが知っている」という強い確信が作り出され、より強い快楽を発生させることができる。エコーチャンバーは「私だけが知っている」という暗黒欲求の増幅装置なのであり、陰謀論者のコミュニティは暗黒欲求を満たすためのハッテン場なのである。

こうして陰謀論で物事をつなぎ合わせる行為は暗黒オナニーであり、陰謀論の共有は当該者間の暗黒セックスであることが明らかになった。

しかし「私だけが知っている」という暗黒欲求は、逆説的に、人に物事を教えようとする欲求の元にもなる。何かを教えるとき、その内容は自分が知っていて相手が知らないことである。ゆえに教えるという行為はそのまま「自分だけが知っていた」ということの確認作業となり、これが暗黒欲求の発散につながる。義務教育や高等教育、楽器やスポーツの習い事、文化・芸術の伝承に至るまで、全ての「教える」という行為は「私だけが知っている」という暗黒欲求がエネルギー源になってる。

確認しておきたいのは、当シリーズを通して「暗黒」という言葉は「悪い」だとか「不適切な」といった価値判断を下す意味では使われていない。あくまで「普段人々が認識できない」「見えない」という意味で使われている。だから暗黒欲求は一般的に「良い」とされる結果も生み出す。実際、この暗黒欲求が元になり、人々は教養を身に着け、技能を習得し、科学を進歩させ、文明を発展させてきたとも言える。人類の好奇心・知的探求は、自分だけの知識で他人にマウントを取る陰謀論と表裏一体なのであり、両者の根源は同一の「私だけが知っていたい」という暗黒欲求なのだ。


起源

では何故「私だけが知っている」という快楽を摂取する暗黒欲求が存在するのだろうか? その理由は人類の進化の過程から比較的簡単に類推できる。

仮に、「私だけが知っている」ことが快楽になる人々とならない人々が居たとしよう。前者はより多くのことを知ろうとし、次々に技術や技能を身に着ける。さらに知っていることを仲の良い者だけに共有し「私たちだけが知っている」というより大きな快楽を覚えていく。一方後者のような人々の集まりにはそうした正のフィードバックが働かず、普段の生活に変化が訪れることは無い。さて、どちらの集団が自然界で生き残っていくか? 基本的には前者である。要するにこの暗黒欲求は自然淘汰の産物である。「自分だけが知っている」ことが気持ち良いと感じる変態共が生き残った結果が現在の人類である。

人類が今存続している以上、この暗黒欲求は進化の過程で実装された仕様として受け入れるべきであり、時と場合によってはバグとして適切に対処されるべきである。大切なのはそのような仕様、バグが人間に備わっていることを我々がきちんと自覚することである。


第一回のまとめ

「私だけが知っている」という暗黒欲求の存在に気づくことで得られる教訓は以下の通りである。

もしあなたが学校や職場でマウントを取られたとき、あるいは宗教勧誘やマルチ商法に巻き込まれたとき、貴方はこう考えればいい。今私は相手の暗黒オナニーに付き合わされている。原因は貴方には無く、相手の暗黒欲求不満にある。そう認識し、「勝手にシコってろ猿」と思えたならば、貴方の勝ちである。あとは無視してそっぽを向いていればいい。人のオナニーに付き合うことほど馬鹿なことはこの世に存在しない。

もしあなたがインターネットで陰謀論者や似非科学信者、デマ拡散者の発言を目にしたとき、貴方はこう考えれば良い。彼らはインターネットの海に向けて暗黒射精をしている。そんなものに反応する必要はどこにも無い。さっさとブロックして衛生的なインターネットを保つべきである。

他人の行動の根源になっている暗黒欲求を認識できるようになれば、貴方の精神衛生は随分良くなるはずである。同時に、自分が今しようとしている行動が暗黒欲求に基づいてはいないかと疑えるようになれば、時間の浪費や無用な疲弊の多くを削減することができるはずである。


というわけで、暗黒欲求という存在を広めるために文章を書くというこの暗黒オナニーを私はここで辞めにしようと思う。



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