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「人の行動を制約する」という快楽【暗黒欲求シリーズその2】

当「暗黒欲求シリーズ」は、人々が日常生活において無自覚に追い求め無自覚に発散している、見えない欲求――暗黒欲求――について論じる。暗黒欲求という観点は個人的なものから社会全般に至るまで様々なスケールの問題を俯瞰することを可能にし、日常生活を阻害する不要な怒りや恐怖、無用な苦悩や抑うつを退けるヒントを与えてくれる。暗黒欲求は自覚が一般に困難であるが、ひとたび自覚すれば人々は全て暗黒欲求という仕組みの深さに基づいていることになり、巷に蔓延る不毛な争いが全て暗黒オナニーであることを明らかにする。

注意として、当シリーズは非科学的である。どれくらい非科学的かというと、フロイトの精神分析学と同じくらい非科学的である。用いられる仮定に反証可能性は殆ど無く、あらゆることに適用できて全てを説明できてしまう点でも真理の主張としての価値が全くない。当シリーズは真理の探究を目指す科学とは目的を異にしており、この点について全く気にしないことにする。人間の安心や平穏に必要なのは真理ではなく納得である。

第二回の今回は社会のいたるところで無自覚に人を動機づけ猛威を振るう「人の行動を制約したい」という暗黒欲求について考察する。


ゲームは一日一時間

2020年1月、「ゲームは一日一時間」に代表される規制が盛り込まれた香川県ネット・ゲーム依存症対策条例が提出され、話題になった。この条例に対しては様々な意見があるだろうが、当記事でこの条例の是非を問うようなことはしない。そうではなく、このような条例が提出されてしまう背景にどんな人間の性質が潜んでいるかを指摘する。

それは「人の行動を制限したい」という暗黒欲求である。子供がゲームやネットをやりたがっている。仕方がなくやらせる。だがそれを一時間で辞めさせる。この一連の行動はとても気持ちいいことである。このことにまず着目しなければならない。

「そんな『暗黒』だなんてたいそうな名前を付けるまでもなく、それは『支配欲』って言うんだよ」と思った読者は、第一回の記事を復習しておくこと。


子供がゲームをしている間、子供の注意はゲームに奪われ、親は子供を自由にできない。その間、親は「子供の行動を制限したい」という暗黒欲求についての欲求不満に陥る。この欲求不満が解消されるのが子供にゲームを辞めさせる瞬間である。生物は一度快楽を知るとそれを繰り返し味わおうとする傾向がある。それが「ゲームは一日一時間」という家庭内での習慣化であり、さらに規模が大きくなったのが「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」という県全体に渡る制度化である。

だが考えてみてほしい。当該条例が施行されたところで、ゲームを一日一時間に制限するのは結局各家庭の親である。それをわざわざ香川県全体という大きな規模で声高に宣言するのは何故か? 

そこに巨大なオーガズムが伴うからである。人の行動の制約が確実にできている、という確信の度合いが深ければ深いほど、確実性が大きければ大きいほど、この暗黒欲求から来る快感は大きくなる。

人を縛る上で最も確実なのは例えば手錠であり、足枷である。しかしとりわけ個人の自由が尊重される現代において、人間を物理的に拘束できることはめったにない。それでも可能な範囲で、人の行動を制約できているという「証明」が欲しくなる。なるべく「目に見える形で」か確信したくなる。それがこの暗黒欲求の本質である。単なる家庭内のルールであったものが、県議員によて文章化される。文章化されたものが県に向けて提出される。提出されたものが県議会で審議される。やがてルールは条文という形を得て、条例として施行される。こうして「形になっていく」ことがポイントである。実際の実効性とは無関係に、人の行動を制約できているという確信それ自体が暗黒オナニーのオーガズムにつながるのだ。


ツイフェミと表現規制

ツイッターにおけるフェミニストの活動と表現規制の話題は、連日トレンドに浮上してくる。再び、当記事ではフェミニズムの活動および表現規制に関する個々の事例の是非や賛否を語ることは無い。ここで注目するのはやはりその裏側で無自覚に発散されている暗黒欲求である。

とあるポスターが過度に性的である。故に取り下げるべきである。これはポスターを描いた人、及びそれを使って何かを宣伝しようとした人による表現活動を「制約したい」という暗黒欲求に基づいていることは言うまでもない。そして実際に主張が通り、ポスターが取り下げられる、広告が使われなくなるなどの対処が行われた瞬間に、表現規制に成功した側は大量の射精をするのである。ここでもやはり人の行動を制限したという「目で見てわかる変化」から受け取った「確信」それ自体が暗黒オーガズムを迎える際に重要になっている。

ここでシリーズ第三回の予告を兼ねて、三つ目の暗黒欲求「人を敵と味方に分けたい」について簡単に触れておこう。この暗黒欲求の一例が男女差別である。男女差別は人々の中に「無自覚」に潜み、「見えない」常識として定着してしまっており、その差別によって人々は無意識に快楽を得てしまっている。この点で男女差別は「暗黒欲求」の一つである。

フェミニズムの目的は、その無意識の思考が実際には男女差別であるということを人々に自覚させ、その思考を改めさせることである。この点でフェミニズムは一つの暗黒欲求を自覚しなさいと呼びかける活動であり、それ自体当シリーズと目的を同じくする活動である。ゆえに、逆に、ポスターの例ような「目に見える」「形のあるもの」の変化に一喜一憂することに終始する人は、残念ながらフェミニストとは呼べず、暗黒欲求に対する解像度の足りない、単なる規制オナニストである。

表現規制が常に「制度化」「法律としての明文化」の話になるのは、やはり人の行動を規制したという事実を石碑として刻んで確信を得たいという今回の暗黒欲求の特質によるものである。


起源

「人の行動を制約したい」という暗黒欲求が何故存在するのか、今回も人類の進化を元にその起源を説明してみよう。

人類史における重要な転換点の一つに、狩猟生活から農耕生活への移行がある。農耕は安定した食糧供給を可能にし、小さかったコミュニティの人口増大をもたらした。さて、人が増えるといざこざが増える。各個人が自分勝手な行動をすれば農耕生活のメリットを正しく享受することができない。そのデメリットは狩猟生活の時とは比較にならないほど大きくなる。ここで、たまたま人の行動を制約することに快感を覚える集団と覚えない集団があったとしよう。より長く存続するのはどちらか? 

基本的には前者である。人の行動を規制するモチベーションがある集団は、コミュニティに損害をもたらす個人の活動を抑制することで、集団の利益を守ることができる。一方、個人の勝手な行動を規制しようと思わない集団は、小規模であればやっていけるかもしれないが、大きなコミュニティを維持することができず、やがて淘汰される。

結局歴史は農耕民族が狩猟民族を(殆ど)駆逐するという道を辿った。結果、現代の人類は人の行動を制約することに快感を覚える変態共の集まりになったのである。

大事なことなので第一回でも述べたことを繰り返しておこう:

人類が今存続している以上、この暗黒欲求は進化の過程で実装された仕様として受け入れるべきであり、時と場合によってはバグとして適切に対処されるべきである。大切なのはそのような仕様、バグが人間に備わっていることを我々がきちんと自覚することである。


第二回のまとめ

最新のマナー常識に従いなさい。環境に優しい活動をしなさい。肉を食べるのをやめなさい。鯨を漁るのをやめなさい。石炭燃料に頼るのをやめなさい。二酸化炭素排出量を減らしなさい。気候変動を抑えるような政策を取りなさい。持続可能な開発をしなさい……。人の行動を制約する主張は、個人的なものから国家間の取り決めの規模に至るまで、そこら中に溢れている。その主張にはきっと、もっともらしい理由がつけられている。生物多様性を保持するため。沈む島を救うため。未来の子供達に繁栄を託すため……。

だがこの記事では、その理由が妥当であるかどうかという以前の段階に注目する。これらの主張の起源が全て「人の行動を制約したい」という暗黒欲求だという点である。新マナーを作り出すマナー講師も、他人に菜食を強要するベジタリアンも、捕鯨を妨害するシーシェパードも、環境保全スターのグレタ氏も、SDGsバッジを付けている官僚共も、皆「人の行動を制約したい」という暗黒欲求を発散する暗黒オナニーをしているのである。

「○○をしないようにしよう」という類の主張を耳にしたときは、まずその主張をしている人が手をしきりに動かしていないか確認してみることだ。その人は暗黒オナニーをしていないだろうか? その主張の裏には暗黒欲求が潜んでいないだろうか? その疑いの目を持っていれば、人のオナニーに付き合うのは御免だ、という判断が下せる。他人に無用な制約を課され、生きづらさが増えるのを避けることができる。

暗黒欲求が根源にあると分かった上で、それでも主張に従うことにする、という場合もあろう。自分なりのルールを持つことが却って生きやすさに繋がることもありうるからだ。だが分かった上でそうすることと、ただ言われた通りにするのとでは天地の差がある。暗黒欲求に自覚的な人ならば、例え主張に従うことにしたとしても、自分が今暗黒オナニーをしていないか警戒することができ、他人に何かを強要して無用な負荷をかけることがないように注意できるからだ。当シリーズは読者の生きづらさを軽減すると同時に、その周囲の人々の生きづらさを軽減することも目的にしていることをここに明言しておく。

終わりに次の言葉を贈ろう。



それじゃみんな、「人の行動を制約しようとしないようにしよう!」


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