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ヒーローになりたかった少年の唄2021㉘

恩の循環

「育ちがいい悪い」とか「お里が知れる」とかいうようなことを、皆さんも雑談の中で聞いたことがあると思う。

出自が悪いと、どうしても一般常識やモラルに欠けたり、下品な言動が多くなったりして、他人に嫌われやすいというのは、実際問題よくある話ではあるけれども、子供はお里を選んで産まれてくることができないので(スピリチュアル的には選んで来ているともいうが……)それは非常に差別的な言い回しであって、言われた方からすると、そんなの親の責任で、自分の責任じゃないのに、そこを責めるなんてコイツは嫌なヤツだ、と思うのも当然だ。

天皇家や豪族ゆかりの一族に産まれた人間と、父親が刑務所に入っている貧乏な家に産まれた人間とでは育ちが違うのは当たり前で、できることならなるべく素晴らしいお里に産まれたいものだが、僕を含め、そうではない人はたくさんいて、それでもゆくゆく本人の努力で素晴らしい人間性を獲得している人も少なくない。

僕はこの民主主義の社会では「他人より優れている」ということには「義務」が伴うと考えている。

身体が丈夫で力が強い人には、そうでない人を守る義務がある。

お金がたくさんある人は、貧乏人を救う義務がある。

頭のいい人には、そうでない人に教える義務がある。

それは先天性のものであろうが、後々自分の努力で勝ち取ったものであろうが同じことで、なにしろ「恵まれた状況」にいる人間には「恵まれない状況」にいる人をサポートする義務があると思うのだ。

そういう前提でないと、民主主義という概念は成立しないだろう。

だから、資本主義と民主主義を両刀でやっていくためには、絶対的に金持ちが貧乏人を完全サポートしなければならないはずなのだ。

ところが、そうなっていないことが、人類史以来ずっと続く混沌状態の基本的な問題であり、それを完全に変えることができさえすれば、ほとんどの問題は消えて無くなると、個人的には強く信じている。

もちろん逆にサポートを受け取る側の姿勢の問題もある。

受け取る側は、常に謙虚であらねばならないし、多くを望まず、サポートによって幸福を取り戻した暁には、自分が次の恵まれない人のために、サポートする側に回らねばならない。

恩を受けた人にちゃんと恩返しをするという文化が日本人には根強くあるが、そうではなく「ペイ・フォワード」という考え方に基づき、恩を循環させるということが、この民主主義国家の根底にはなければならない。

クローズされた体系の中に恩を押し込めてしまうと、その恩は腐敗していく。
水と同じで、流れがなくなると恩も淀み、腐るのだ。

「恩」が腐敗すると「怨」になる。

日本の古い封建制度のなかにはこの「怨」が渦巻いていた。

一つ一つの恩は流れて浄化され、全ての恩の本流に注がれると、かつて川の周りの集落から文明ができたように、恩の周りに幸せな集落が形成され、それがそのうち地上天国のような文明にまで発展するのだ。

えてして、自分の努力ではなく元々いい家系に産まれた人や、元々恵まれた体格で力が強いタイプの人なんかに、そういう義務感が希薄な人が多いように見えるのは僕だけだろうか?

もちろん例外はたくさんあるし、全員がそうだとは言っていない。
しかし、そういう傾向があるようには感じないだろうか?

辛い環境にいながら、努力をして自分で恵まれた環境を創り出してきたタイプの人には、誰に言われるでもなく義務感を持って、恵まれない人達に寄り添いサポートをしている人が多い気がする。

もちろんそれは、たまたま僕の周りにそういう人が多いだけかもしれず、ちゃんと統計を取ったわけではないけれど、僕と同じように感じている人がたくさんいることを、日々の色々な人との雑談を介して僕は知っている。

特権階級に対する一般人のものすごい嫌悪感が、ちょっと前の池袋の暴走車事件などで露呈したが、それも特権階級の人達がのべつ困った人達のサポートを一生懸命しているという姿勢が、一般大衆にちゃんと見えていたなら、こんな大きな嫌悪を招かなかったはずだ。

この事件単体についてとやかく言うつもりはないが、特権階級といわれてしまう立ち位置にいる人はとにかく謙虚にいて、のべつ貧者を助け続ける印象でも与えない限り、何かあった時には叩かれまくる対象になる。

インターネットのない時代には、それぞれの人が何をやってるのかは完全に霧の中であり、単なるイメージでしか判断できなかったが、今の情報化社会では、何か事件や事故があるたびに個人の過去情報が暴露され、それが元々恵まれない環境にいた人の犯行だったのか、それとも特権的に恵まれた人の犯行だったのかで、事件そのものの印象まで全く変わってしまう。

特権階級が非常に生きづらい時代が到来している。

特権階級の困窮者救済義務は、一般大衆たちから未だかつて無いほど重要視されてきていて、そこに意識のない金持ちたちは、何か事が起こる度にインターネットで死ぬほど叩かれ、個人情報を特定され、死ぬまで追い詰められることも少なくないような時代になってきている。

特権階級がこれを打破するためには、とにかく儲けることより最優先に、自分の富を富まぬ者たちに使うことしかないのだ。

悪いお里出身の貧乏人連合からしてみれば「今まで散々いい思いしてきやがって、当たり前だザマミロ!」ということになる。

こういう時代がいい時代なのかどうかは何とも言えないが、こういう時代を通過しないと、ちゃんと「恩」の循環する地上天国に到達しないことを考えると、特権階級の皆さんにはもうしばらく我慢していただくしかない。

ヤバいと思うなら、今すぐ金をみんな貧乏人にバラまいてどこかに逃げることですな(笑)

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