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朝比奈一郎 官僚のキャリアパスを考えるvol.1

創発プラットフォーム官民交流の在り方シリーズでは、まずは、退職した官僚を中心にインタビューを実施。官民交流の在り方、リボルビングドアについて聞いていくことにより、今後のパブリックセクターの在り方について議論を行います。官僚を辞めつつも、パブリックセクターに貢献したいという想いのある人が多い現状を踏まえ、彼らをどのように活用するのか? また、若手の退職傾向をどうするのか?という問題意識について議論を続けていきます。
シリーズ第一回目は、青山社中 朝比奈一郎氏のインタビューです。

ゲスト
朝比奈一郎氏
青山社中株式会社 筆頭代表CEO
1973年東京都生まれ 
東京大学法学部卒業 ハーバード大学行政大学院修了(修士)
1997年経済産業省入省、2003年に、経済産業省在籍中に「新しい霞ヶ関を創る若手の会(NPO法人プロジェクトK)」を立ち上げる。2010年より現職ビジネス・ブレークスルー大学大学院 客員教授、NPO法人 地域から国を変える会 理事長、総務省 地域力創造アドバイザー、那須塩原市/三条市/川崎市/沼田市/生駒市 経済活性系アドバイザー、一般社団法人 日本と世界をつなぐ会 代表理事、内閣府 クールジャパン 地域プロデューサー
青山社中
https://aoyamashachu.com/

酒井:皆様こんにちは創発プラットフォームの酒井と申します。
よろしくお願いします。
本日は、創発プラットフォームの新しい企画 ということで 、「官僚のキャリアパスを考える」という新しいシリーズを始めたいと思っております。官民交流の在り方ですとか、リボルビングドア、それから、パブリックセクターがどうあるべきか、そういったことについて、まずは役所を辞めた方を中心にお話を伺いたいと思っております 。

私自身も1995年に経済産業省に入りまして、2002年に退職。その後、私はビジネスの方に行ったんですけれども、やはり役所を辞めた人と交流をしていると、ビジネスの世界に行ってもパブリックの思いとか志を持ってらっしゃる方がいるということで、こういう人をどう活用していくかというのが大きな課題ではないかなと思いこのシリーズを初めております。
今、そういう中で、役所を辞められた後も引き続きリーダーシップですとか、パブリックセクターにずっと携わっておられて、その後自治体さんですとか国会議員さんとか色々と支援されています、青山社中の代表の朝比奈さんに今日は来て頂いております。
本日は宜しくお願い致します 。

朝比奈:よろしくお願いいたします。

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酒井:簡単にご紹介をさせて頂きます。
朝比奈さんは1997年に経産省に入省。在籍中の2003年に新しい霞ヶ関を作る若手の会プロジェクトKというものを立ち上げられました。その時に霞ヶ関改革案というものが作れて、時の政治家に直訴するというようなこともやられております。
その後2010年11月に日本再生を目指す株式会社青山社中を設立。筆頭代表に就任。政党や政治家の政策作りをサポートするシンクタンク事業を開始。現在も議員の先生の政策アドバイザーや多くの地方自治体のアドバイザーをされていらっしゃいます。
ということで大丈夫ですか?

朝比奈:2つ上の経産省の先輩なので 笑
当然これで合っております。

プロジェクトKを立ち上げた経緯は?その想いとは?


酒井:という事で、もう何百回もお話しされていると思うんですけれど、プロジェクトKというのはどういう思いで活動されて、どういったことでスタートしたかという所からまずは教えていただけますか。

朝比奈:簡単に当時の思いを申し上げたいと思うんですけれど、今ご紹介頂いたように、平成9年(1997年)に霞ヶ関に入りまして、当たり前なんですけど官僚って、皆さん良い政策を作って日本を良くしたいと思って入っているわけですね 。

ところが、日々すごく忙しいんですけれども、何かこう日本が良くなっていると言う感じがしないと、頑張っているんだけれども。突き詰めて言うとなかなかベリーベストな、本当に良い政策を作れているのかと。より噛み砕いて言えば、ちゃんと調査をして、色んな案を比比較検討して、これだと言うものを自信を持って商品としてお届けできているのか。

こういったことを官僚として胸に手を当てて問うた場合ですね、どうも色んな圧力とか思いつきとか、幹部の何となくの雰囲気で、とにかく忙しい中で慌ててやっている。それだけではなかなか日本は良くならないんじゃないかなと言うところで。一言で言うと、より良い政策を作るメカニズムを霞ヶ関に入れるべく改革したほうがいいんじゃないかと。

こういう思いで、当時研修なんかで一緒だった同期と議論しまして、実名入りでただ批判するだけではなく具体的な改革案を出そうじゃないかということで、2年ぐらい色々と研究しました。具体的には組織のあり方、特に縦割りがひどかったものですから司令塔と言うことをどう考えるか、民間の事例とか諸外国の事例とか色々見ながら日本にふさわしい司令塔組織のあり方。あとは、日本にふさわしい人事制度ですね、公務員制度。これについての具体案、それと日々の業務フロー。これをどういう風にしたらいいか、こういう案をまとめて実名入りで出版しちゃったと。
こういう動きでございます。

酒井:あれは社内(経産省内)では、どんな感じだったんですか?
何やってるんだ!的な?


朝比奈:そうですね、案を出すまではその辺心配だったんで、基本的にずっと水面下だったんですね。実名入りで出版しちゃいましたっていう後は、正直、二割くらいはお前なにやってんだという雰囲気でしたね。本業ちゃんとやれとか。
ちゃんとやってたつもりなんですけど 笑
お前政治に出たいのかとか結構いろんなこと言われました。
2割位は俺もそう思うと、是非頑張ってくれって言う感じで、残りの6割ぐらいはまぁまぁって言う感じでした。

酒井:それが2003年か4年位じゃないですか?

朝比奈:そうですね、案をまとめたのが2005年の終わりぐらいですね。
ほぼ2006年に出版した感じです。

酒井:そこから青山社中までに空いてるじゃないですか、その間ってどういう思いだったんですか?

朝比奈:そうですね。
これは案を出して、やはりその案を実現させたいと言うことで、霞ヶ関で言うと社長が総理なわけで、社長に直訴しようじゃないかと。当時は小泉政権だったんですけど、そういうところに直訴しに行ったり、案を実現するために政党側自民党側とか実現のために動きましたね。そしたら当時民主党に代わりそうな雰囲気がある中で、そして民主党に代わって、また霞ヶ関維新ていう本も出して。当時の菅さん(民主党)とだいぶやりあったりとか。そういった実現に向けての動きというのを勢力的にやっていました。

役所を辞めた転機は?

酒井:なるほど。
そう言った意味で言うと、私みたいな小心者からすると、役所にいながらそいう飛び道具的な事をやれるんだったら、辞めずにそのままずっとやっていれば良いんじゃないかという思いもあるんですが。そこで辞めて、青山社中を作らねばと思ったその転機みたいなのものは何だったんですか?

朝比奈:これはですね、思いとしては二つありまして。一つは霞ヶ関の中で、今申し上げたような組織を変えるとか、人事を変えるとか、業務を変えるとかいうのは、これは結構やれる事はやったなと言う感じと、放っておいてもそういう流れになるだろうということ。
その後、実際内閣人事局みたいなものもできてきますし、私も法案に関しては参考人で答弁させていただいたんですけれど、これは辞めてからですね。そういう路線ができていてやり切ったなという感じ。これが一つ。

もう一つの思いは、霞ヶ関は確かに良くなっていくかもしれない、少しずつね。今もまぁ厳しいですけれども。働き方改革とか進み始めてますが、より良い政策を、EBPMとかね、ちゃんとエビデンスに基づいて政策を作っていこうとかそういう感じになっているかもしれないけど。やっぱり大事なのは日本を元気にしないといけない。日本の根本的活性化と考えたときに、やっぱり人材を元気にするとか政治家がこちらに政策を入れ込むシンクタンクが必要だとかいろんな問題意識が芽生えてきたんですね。これは霞ヶ関の中だとなかなかできないということで飛び出したということですね。
本当の引き金は、正直に言うと、政治に誘われたんですよ 笑
政治に出ないかと。

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酒井:多かったですよね 笑

朝比奈:まぁ、かなり出かかったんですけど、当選したかどうかはともかく。
ただ、その時に本当に優秀な経産省の先輩たち霞ヶ関の先輩たちが、当時は自民、民主問わず色々と出てらっしゃるのに、今僕が言ったような問題意識ってなかなか変わらないなって言うのがあって。やはり人材育成とか、政治家側のシンクタンクとか地域の活性とか、色々考えるとこれは政治家と言うポジションじゃない形でやった方が意味があるかもしれないし面白いだろうなと思ったと言うのがありますね。

役所を辞めることの周りの反応

酒井:確かに難しいですね。政治家になっちゃうと一議員になっちゃうからなかなかそれどころじゃないみたいな話もありますよね。
2010年位てもう同期って結構辞めてたんでしたっけ?

朝比奈:そうですね5.6人辞めてましたね

酒井:辞めるってなって周りとか同期の反応ってどんな感じだったんですか?

朝比奈:大体みんな反対していましたね、ほぼ反対していました。

酒井:そうなんだ!
いつか辞めると思っていたよとかそういうのではない?

朝比奈:いや、この霞ヶ関改革なんていうのは中から改革とずっと言っていたものですから、むしろ辞めないと思っていたとか、そのやっていた仲間たちもまだ霞ヶ関改革道半ばなのに何なんだとかですね。後は、逆にすごく可愛がっていただいた上司とかは、本当にそんなので食っていけるのかとかね。大体当時同期が辞めていくってコンサル行くとか投資銀行行くとか、より給料が高い方へいくパターンだったので。

酒井:まだその時もそうでした?

朝比奈:そうですね。
なんとなく霞ヶ関の辞めパターンて、僕は3段階あると思うんですけど、本当の昔は辞める方は大体政治に行くとか、親の事業を継ぐっていうパターンが第一期で、第二期が大体コンサルとかね投資銀行にいくってパターンで、最近ね第三期でベンチャーとか起業とか出て来ましたけど僕の時はまだ第二期真っ最中で大体留学行って帰ってくると私たちの代くらいのせいでね、変な話、お金を返さなくてはいけない制度ができちゃったんですよ。それまでは返さなくてもよかったんですけど。だから、ちょうど同期とかは留学して帰ってくると自主的に返しているやつとかいました。

「正直な時代」になった

酒井:ああ、確かに、確かに
ちょうど合間くらいだとそうですよね。
今、第二期って話があって、私も第二期だと思うんですけど、私も辞める時って先輩から食えるのかって言われたし、お前は法学部だから、食うに困ったらもう一回弁護士を頑張れとか、そういう謎のアドバイスを色々受けたんですけど。今でも当時の先輩に会うと最初に食えてんのか、儲かってんのかとか、儲かってんなら奢れとかそういう給料とかビジネスとかそっち側の方に意向があって、第三期というかまさに若い人って同じパブリックなことをやりたいんだけど役所を辞めます、、役所ををやめてNPOに行きますっていうそういう流れがあるような気がします。その辺てどういう変化が背景にあると思いますか?

朝比奈:これはね、正直な時代になったと思うんですね。一言で言うとどういうことかと言うと、昔のパブリックにいた人というのはもちろんパブリックのやりがいもあるんだけれど、パブリックに居るとか、端的に言うと官庁に居るとか地域で言えば市役所に居るとかっていうのはステータスだったわけですよ、人からどう見られるかとかそういう。その辺も兼ね合わさったパブリックだったと思うんですよ。これが、今僕が正直な時代と言ったのは、正直に本当に何したいのかってところを結構を言うようになったんですよね。だから偉い偉くないみたいに言うと大きな省庁にいたほうがいいんだけれども、むしろ地方の役所に転職するとか、そういうところで地方議員をやるとか。国会議員には全く関心は無いけど首長をやりたいとか。昔はね、首長やった後に国会議員に行くとかありましたけどね。

酒井:序列がねそんな感じでしたよね

朝比奈:むしろそっちの方がやりたいんだとか、結構そういう正直な時代になったっていうのはパブリックセクターの変化にも入ってるのかなっていう風に思いました。

酒井:昔は東大で順位が高いと役所に行くみたいなのがあったのが、今はパブリックをやりたい人が役所に行っているといった感じですよね。

朝比奈:より正直になっていると思いますね

酒井:辞めていくことについて、この間朝比奈さんも残業についてやっていましたけど、野党合同ヒアリングとか残業とか働き方改革とか、ああいうところで嫌気がさしてるとかありそうですか?

朝比奈:そうですね、そういう辞め方もありますね。
そこで追い込まれて、この生活はサステナブルじゃないという中で選択肢を探すときに、給料も下がるけど、生活も時間的にも豊かになるという選択肢を取るのか、同じように大変だけど給料が何倍かに上がるというのを取るのかという。
僕に言わせたらちょっと後ろ向きな辞め方。それはもう仕方ないし、大事なことだと思うんですけど。

酒井:ありがとうございます。
この後も続きます。

インタビューの動画はこちらからご覧いただけます。


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https://twitter.com/sohatsupf
一般財団法人創発プラットフォーム
http://www.sohatsu.or.jp/


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