大学生がFukushima50を観た感想
Fukushima50とは
マグニチュード9.0、最大震度7という巨大地震が起こした想定外の大津波が、福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲う。浸水により全電源を喪失したイチエフは、原子炉を冷やせない状況に陥った。このままではメルトダウンにより想像を絶する被害をもたらす。1・2号機当直長の伊崎ら現場作業員は、原発内に残り原子炉の制御に奔走する。全体指揮を執る吉田所長は部下たちを鼓舞しながらも、状況を把握しきれていない本店や官邸からの指示に怒りをあらわにする。しかし、現場の奮闘もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は避難を余儀なくされてしまう。
官邸は、最悪の場合、被害範囲は東京を含む半径250㎞、その対象人口は約5,000万人にのぼると試算。それは東日本の壊滅を意味していた。
残された方法は“ベント”。いまだ世界で実施されたことのないこの手段は、作業員たちが体一つで原子炉内に突入し行う手作業。外部と遮断され何の情報もない中、ついに作戦は始まった。皆、避難所に残した家族を心配しながら―
(公式サイトより引用: https://www.fukushima50.jp/)
観た感想
僕はこの映画のテーマは「愛」だと思う。
さまざまな人物がさまざまな立場から行動し、発言するが、その全ては、愛する人や仲間、町、そして国を思う紛れもない愛情に駆り立てられた結果なのだと思った。
確かに放射線の漏洩という結果を見て批判することはたくさん見つかるだろう。
「そもそも海抜10メートル地帯に原子力発電所なんて設立してよかったのか。」
「非常用電源までもが停止した際のシナリオ共有をなぜもっと徹底できていないのか。」
「なぜ菅前首相は現場の事情を考えずに視察に行ってしまったんだ。」
「海水での冷却を止めていたら日本はどうなっていたと思ってるんだ。」
「そもそも太平洋プレート付近なのに地震を考慮してたのか。」
などなど。。。(僕の意見じゃなくて、ネットによくある意見を拾いました!)
でも当時、間違いなく前線で活動していた方々全員がこの国を守ろうとしていた。
命を賭してでも原発事故を防ごうとしていた。
果たして何人の人が、決死隊に参加する決意をできる?
何人の人が、愛する国のために現場に残る決意をできる?
その国には少なからず自分が嫌いな人も含まれているというのに。
考察
学問的なファクトチェックは億劫である。
原子力工学の専門家と、放射線医学の専門家と、地政学の専門家、地震学の専門家では見解が異なるだろう。
加えて、あくまでこの作品は、吉田昌郎という東電の現場役員からの目線であり、全てではない。
当時小学生で、テレビで東日本大地震を観た僕にとっての当時のファクトは、「原発ってなんだ」程度でした。(ほんとに)
環境を学ぶ今の僕にとってのファクトは、「事故は恐ろしいし、地震も恐ろしいが、原子力発電ほど持続可能な発電方法は他に無いのだから推進すべきだ」である
違う立場、背景の人たちはそれぞれが愛と正義を背負っているのだから、言い合っても仕方がないのだなあ、と感じた。
学びと生かし
この作品から学べることはたくさんある。
結果的に間違うこともあるだろうが、行動し声をあげた人たちに、何もしてない匿名状態で外から文句をこぼすような人にはなりたくないと強く感じた。
愛、感謝、恩
これらは事実や数字、効率と共存させるべきだ。
データとファクトから最適な判断をする努力は最優先だが、最終的な決断をするのは人だ。
人は感情を持っている。
「人はそれぞれ正義があって争い合うのは仕方ないのかもしれない。だけど僕の正義がきっと彼を傷つけていたんだね」(SEKAI NO OWARIより)
その人にはその人の正義があり、愛があるのだと理解してあげれば、もっとお互いに生きやすくなるのではないだろうか
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