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宣誓:自分の発信の方針

私は、自身の発信のポリシーとして以下の三点を大原則としたいと思います。

①究極的なところは理屈じゃない
②誰のことも「尊敬」しない
③説教しない

これから一つ一つ説明します。

① 究極的なところは理屈じゃない
多くの方に納得いただくためには、理路整然と説明する必要があると思いますし、私も発信する際にはできるだけそのようにしたいとは思っています。しかし、「なぜ」を突き詰めていくと、理屈ではなく「自分はこういう考え方が好きだから」「そういうものだと思って諦めているから」としか言えなくなるところに行きつくと思うのです。つまり、個人的な価値観あるいは世界の見方ですね。
これから発信していくことは決して普遍的なものだと自分自身も思っておらず、あくまで個人的な考えであることを強調したいと思います。

② 誰のことも「尊敬」しない
字面だけ見ると高慢な人に見えるかもしれませんね(笑)ニュアンスとしては「妄信しない」ということなのですが、あえてこの言葉を使っています。
なぜかというと、私はこの「尊敬」という言葉に対してネガティブなイメージがあり、自分はやるまいと子どもの時に思ったからです。私が小学校低学年の時分、オウム真理教や北朝鮮がニュースを騒がせていました。そこでよく聞かれたのは、「尊敬する尊師様」や「尊敬する将軍様」といった言葉です。私はこういったニュースを見て、「人を【尊敬】したら、人として終わりなんだな」と解釈し、嫌悪感をいただくようになりました。本来は健全な「尊敬」もあるのかもしれないですが(というか大半がそうなのでしょう)、私は「尊敬」という言葉を聞くと「妄信・マインドコントロールされている状態」をイメージしてしまうので、その状態にならないように生きていきたいし、発信するときもその姿勢は貫きたいと考えています。

③ 説教しない
これは比較的シンプルで、何よりも自分が説教されることが嫌いなので(笑)、自分がされて嫌なことは人にもすまい、ということです。よっぽどの信頼がない限り、説教は響かないだろうと思っています。このようなネット上で信頼を得るのは難しいことで、そこで偉そうに説教臭いことを言うと、ただの嫌な奴だと感じてしまいます。…といいつつ、私もそこそこ説教臭いことは言ってきたかもしれませんね(汗)今後はより一層言葉の選択に気を付けようと思います。

上記三大方針を大事に、これからはあんまりかしこまりすぎず、医薬品開発に関連する知識や経験を共有していきたいと思います。それを通じて、読者の方が薬との付き合い方について改めて考えるきっかけになれば幸いです。

さて、次回は試薬としてのヒト生体試料についてお話したいと思います。

あなたは自分の肝臓の細胞は一体どれくらいのお値段になると思いますか?

考えてみると怖いかもしれないですが、医薬品開発の現場では日常的に肝細胞を含むヒト生体試料が試薬として使われています。

気になった方は次の投稿も是非ご覧ください♪

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