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話数単位で選ぶ、2019年TVアニメ10選

友人の八作/brikixがやっているのを毎年見てはいたのだけれど、遅まきながら今年は自分でもやってみることにしました。

この7~8年くらいは毎クールどのアニメを観るか、また録画するかという予定を管理する意味でも視聴リストを作っているのだけれど、それによれば2019年に1話でも観たTVアニメはのべ141タイトル。実際には途中で視聴を止めたものもかなりあるので単純に×12話とはいわないまでも、その2/3くらいの話数は観たと思われるので、おそらくは1000話以上ある中から強く印象に残っているものを選びました。

【話数単位で選ぶ、2019年TVアニメ10選】sodatschko選

(なんとなく放送順。正確には前後するものもあるかも)

『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』第3話「白銀御行はまだしてない/かぐや様は当てられたい/かぐや様は歩きたい」
『ラディアン』第17話「いま風の音を止めて」
『フルーツバスケット』第17話「うおちゃんの分ですっ!」
『鬼滅の刃』第十九話「ヒノカミ」
『まちカドまぞく』第11話「夢ドリーム再び!! 桃色防衛線を突破せよ」
『キラッとプリ☆チャン』第77話「ナゾのアイドル ついにデビュー!だもん!」
『戦姫絶唱シンフォギアXV』EPISODE 8「XV」
『バビロン』第2章「選ばれた死」第7話「最悪」
『食戟のソーマ 神ノ皿』第11話「希望の唄」
『この音とまれ!』#24「正解のその先」

拾えるものについては感想ツイートを引用する形で振り返ります。

まずは『かぐや様は告らせたい』

この感想は第2話時点のもの。以降だんだんキャラも増えていってそれはそれで楽しかったりはするわけだけれど、序盤はかぐやさん、白銀会長、藤原書記の3人だけで進行していて場面の転換もあまりなく、この濃密なやり取りと動きはなくとも飽きさせない画面づくりがこの作品の核の部分と言ってよいと思う。好きなエピソードはいくつかあるけれど第3話をチョイスしたのはエンディング込みの評価。

『ラディアン』第17話はいわゆる「ハーメリーヌ編」のクライマックス。

特殊な能力を持つがゆえに脅威と見なされ迫害を受けてきた者が、為政者やそれを黙認・追随してきた市民に対して牙を剥きつつ、その結末がどういうものである「べき」かをも理解している、そういういわば「滅びの道行き」と、切なくもはかない恋慕が邂逅する、そのクロスが見事な構成。これもハーメリーヌを演じた内山夕実による特別エンディング回で余韻が素晴らしい。

『フルーツバスケット』

あんまりツイートはしていなかったけれど、毎回とにかく丁寧に泣かせに来るのがフルバなのでその余裕がなかったっぽい。第17話はうおちゃん回の後編で、これはもうわかってても涙腺が無理。エモーショナルではあるのだけれど、一方で「誰が何をしてそのとき何を考えていたのか」という理路がものすごくロジカルに組み立てられているドラマで、登場人物の行動に必ずちゃんと理由があり、それが繙かれていく心地よさがあって、そこが好きなところではある。

『鬼滅の刃』

これもあまり直接的な言及はしていなかった。禰豆子のキャラクター造形についてはある意味でものすごく感銘を受けたので何度もその話をしてはいるのだけれど、本筋とは関係がなくここでは適当でないので割愛。ひとつ別の話をすると、『ハイスコアガール』で大野晶を演じた鈴代紗弓と同様、禰豆子役の鬼頭明里はほとんどセリフらしいセリフのない役を演じるという難行に挑んでいて、その意味での見応え(聞き応え)もあった。作品自体に話を戻せば、2019年で何か1本挙げろと言われれば選ばないわけにはいかないタイトルでもあり、特に第十九話・那田蜘蛛山編のクライマックスでは炭治郎が累の首を刎ねるカットに、ほとんど執念にも似た作画への追求が極まっていた。これはよく八作と意見が食い違うポイントでもあるのだけれど、自分は元々あまり作画に思い入れるほうではなく、お話の語り口のほうを重視するタイプで、それだけにごくたまに訪れる「画の力」そのものに魅入られる瞬間は、より大事にしたいと思っている。

『まちカドまぞく』第11話「夢ドリーム再び!! 桃色防衛線を突破せよ」

すごいしょうもない感想を引っ張ってきてしまったけれど、実はこういう「ちょっとした細部」にこの作品の美点が現れていると思っていて、自分の中では『キルミーベイベー』とかと同じフォルダに入っている。ユルくて可愛いルックとは裏腹に、とても緻密に練られたドラマとそれを下支えするアニメーション。第11話では、これまで吉田家のちゃぶ台代わりに使われている描写が何度もあった段ボールこそがシャミ子の父親が封印された姿であるということが明かされる。そのときに桃が段ボールではなく床にスッと飲み物を置いたカットにごく自然に流れるのが作品全体に通底する「優しさ」であり、それがとても心地よい。原作は未読なれど、既読組に依ればこれはアニメオリジナルの描写だそうで、そのことからも制作スタッフの真摯な姿勢が読み取れる。

余談としては、個人的に今年の女性声優オブザイヤーに推している小原好美の好演にも拍手を送りたい。『かぐや様〜』藤原千花、『スター☆トゥインクルプリキュア』羽衣ララ/キュアミルキー、『高木さん』日比野ミナなどなど、誰が聞いても一発で憶えられる特徴的な声を活かした「存在感のある準主役〜脇役」を得意とする声優さんだと勝手に評価していたのだが、シャミ子の愛らしく応援したくなるキャラクター性は少なくない部分を彼女の声に負っており、そうした先入観を気持ちよく覆してくれた。

『戦姫絶唱シンフォギアXV』EPISODE 8「XV」

ツイートをたどったらG(2期)の頃からずーっと同じこと言ってる、俺。まがりなりにも話がわかって観ていたのは1期だけで、それ以降の50数話、全く話が理解できないまま観ている。でも楽しい。それが、それこそが、シンフォギアだッッッ!!! エルフナインちゃんを救うためのガリィたちの自己犠牲、キャロルの再誕、絶唱エクスドライブモード、さらになんやかんやあって未来の覚醒、そしてオッス我シェム・ハ。うん、全然わからん。切り口上の語感の外連味が迸り、ジェットコースターのように次から次に押し寄せるクライマックスのグルーブと、どんでん返しに身を委ねる快感。ED後の提供ナレーションまで含めて「シンフォギアらしさ」が凝縮されたエピソード。考えるな!

『キラッとプリ☆チャン』第77話「ナゾのアイドル ついにデビュー!だもん!」

ここで言っている「強さ」はもちろん物語の強度のことでもあり、そして半年先どころか1年先をも見越してじっくりと腰を据えたストーリーテリングができる制作体制のことでもあります。玩具ありきで展開する長いシリーズのキッズアニメがしばしば陥ってしまう場当たり的な展開によって生まれるテンションも時には奏功することもあるけれども、本来「シリーズ構成」とはこういうことだと思う。

上の記事でカイトさんは第89話「聖夜はみんなで! ジュエルかがやくクリスマス!だもん!」をセレクトし、第77話は次点として挙げておられるのだけれど、それ単体でも感想記事を書かれていて、そちらもうんうん頷きながら読んでしまった。

俺も当然迷いました。第2シーズンの『プリ☆チャン』は虹ノ咲だいあの物語が一本の大きな幹であって、誰でもアイドルになれるはずのこの世界観にあって、引っ込み思案で自分に自信がない彼女がいかにして「その一歩」を踏み出すに至るかを、他の視聴者のみんなと同じように固唾を呑んで見守ってきたわけなので。《77話で踏み出した半歩の、残ったもう半歩だった》というのは本当に仰る通りだと思う。ただ俺は、「最初の半歩」のほうにより心を打たれたというだけです。虹ノ咲だいあというキャラクターの心の動きを、みらいをはじめとするプリ☆チャンアイドルたちとの関係性の変化を、そしてそれに常に寄り添ってきた〈バーチャルプリ☆チャンアイドル〉のだいあを、その全てのピースがガッチリと噛み合ってひとつの完成形に向かって着実な「半歩」を踏み出したその瞬間を、この第77話というエピソードは優しい手つきでとても大切に描いている。誰もが華やかなステージに立てるわけではなく、誰もが思い描くような自分になるためにひとりきりで進みだせるわけではない。モニターの向こう側の遠い世界の出来事を、いったんはそんな「身の丈の物語」として引き寄せた上で、この上なく素敵なファンタジーへと再び昇華してみせたこのエピソードは、虹ノ咲だいあというひとりの女の子に自らを投影して勇気づけられたであろうすべての視聴者に対する祝福であったと思う。

だがしかし、第2シーズンには前作『プリパラ』では真中らぁらだった茜屋日海夏演じるところの圧倒的主人公力を発揮する新キャラクター、金森まりあというモンスターがいるのがややこしくて、特に第82話「最後のだいあフェス!カッコいい対決だもん!」もキラーエピソードだったりする……みたいな話をし始めたらもう止まらなくなるのでこのへんで。

『バビロン』第2章「選ばれた死」第7話「最悪」

これは第1話の時点での感想。原作既読なのでどこで何が来るかは重々承知の上で視聴していたわけだけれど、あの話をちゃんとテレビで放送できるフォーマットに落とし込んだ上で、しかも元々のストーリーが持っていたテーマ性を損なうどころか補強したといえる第7話は白眉。そのまま描写しては即物的かつ露悪的にすぎる残虐なシーンを、平和な一家の日常と絡めて対比して見せたアイディアはまさにアニメでこそ成立したものだと思う。

『食戟のソーマ 神ノ皿』第11話「希望の唄」

たびたび主張しているとおり『美味しんぼ』大好きっ子なので、料理アニメもまた大好物のひとつで、今年は『真・中華一番!』などもあったのだけれど、やはり4期にわたる物語にひとつの大きな区切りが付いたとも言える第11話は外すことができない。『食戟のソーマ』はもちろん主人公・幸平創真の物語ではあるし、一見派手な「おはだけ」の演出に目を奪われがちなのだけれど、創真の最大のライバルであり、頼れる仲間でもあり、そして大本命のヒロインでもあるという薙切えりなの成長が分かちがたい軸として存在していて、長い期間で積み上げてきた「他者との関わり合い」によって「孤高の存在」であることを脱し、真の意味で前述の物語上の役割すべてをあらためて自ら獲得してみせた、それがこのエピソード。ちなみにサブタイトルは1期のOPテーマの曲名でもあって、そのことからも制作スタッフがここに掛けた思いが感じられて死ぬほどアツい。

また余談として声優について触れておくと、薙切えりなという重要な役どころを種田梨沙の病気療養のために途中で引き継いだ金元寿子の重圧は想像するに余りある。とはいえ、交代直後から彼女は自然に「えりな様」として存在して全く違和感を感じさせず、連続したひとつの人格を維持し続け、それがこのクライマックスに結実した。そのスキルに脱帽。

『この音とまれ!』

とか言っていたそばから#25「天泣」も滅茶苦茶よかったので甲乙付けがたく、まさにストーリー上の審査員と同じ気持ちになってしまった。音にはそれだけで充分に力があるので、それと画とをタイミングも含めてどう噛み合わせるのかが音楽もののアニメのポイントで、そのバランスによっては歪に見えてしまうこともあるのだけれど、『この音とまれ!』は見せるべきものを絞り込んだ演出が明快。音のない日常パートの心情描写も細やかで、当初はテンプレ的な数合わせのモブかと思っていた男子部員たちそれぞれの個性さえも印象に残る端正な作り。これが初監督だというのには正直に言って驚きを禁じ得ない。水野竜馬という名前は覚えておくべき。

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