西野奈津子

日本一幸せなお母さんを増やす!子育て支援は親支援。鎌倉育ちあいの家代表

西野奈津子

日本一幸せなお母さんを増やす!子育て支援は親支援。鎌倉育ちあいの家代表

最近の記事

あの世とこの世

昨日の朝、叔父が他界したと連絡が入った。 叔父は母の2歳下の弟で 四人兄弟の3番目と4番目ということもあったのか 二人はそれなりに仲が良かった。 お通夜は、1年前の母の命日。 母は、仲の良かった弟(叔父)を迎えに来たのだろうか。 昨年のお正月、母が怪我をして寝たきりになった時 病院へ見舞いに行くと 病室の入り口のカーテンの所に 祖父と父が交互に来ていると母は言っていた。 母は祖父のことが好きだった。 父とはとても仲が良かった。 あの世に逝く時には 親しかった人が迎え

    • 更年期に「空の巣症候群」にならないようにしよう

      年齢はただの数字・・・と思いつつも 最近、更年期というものを実感している。 でも更年期障害までには至ってはいない。 この更年期というのは女性ホルモンの 「エストロゲン」が減っていることが原因らしい。 実のところ、つい最近まで このエストロゲンの存在を知らなかった。 いや、意識していなかった。 でも、せっかくなので この更年期とやらに絶賛向き合い中だ。 サプリメントも飲み始めた。 いつか、こんな日が来るとちゃんと思っていた。 そして、この更年期に 子育てを終えた「

      • ご縁のあるところ

        保育室の来年度の入室に向けて 育ちあいの家おなりへの見学者も増えてきました。 鎌倉市の認可保育室への申請は来月中旬までで 見学を必須にしている園と そうではない園があって 育ちあいの家は必須にはしていないのですが それでも、ご自分のお子さんを 預けたいと思う施設の見学は みなさん、熱心にされています。 今日、見学にいらした保護者の方の質問の中に 園庭のあるような大きな保育園と 育ちあいの家の小さな保育室との 違いはなんですか? というものがあったそうです。 室長の真里奈

        • 一期一会・・・大切な人と会えるのは今日が最後かもしれない

          またまた久しぶりの投稿になります。 以前はnoteの記事を投稿することが 「習慣」になっていたんですが 一旦、投稿しなくなって さらに、今は平日の朝の音声配信が 習慣になっているので noteは、なかなか開かなくなってしまいました。 でも、それなりに投稿していきたいと思います。 9月になっても暑い日が続いて そんな中で、今年の正月に震災があった能登が 今度は大雨による大きな被害が出ました。 誰が亡くなっても辛いものですが 中学3年生の女の子が家ごと流された可能性あって

          ご報告&お知らせ

          お久しぶりの投稿になります。 最近、平日の朝に音声配信standFMをやっていて そちらの方が発信の主流になっています。 ご報告としては お陰様で先日8月4日(日)に ドキュメンタリー映画「ママをやめてもいいですか!?」の 上映会を開催することができました。 スタッフが開催報告をHPに掲載しています。 ぜひご覧ください。 お知らせは 9月から 土曜日の午前中(月3回)で 育ちあいの家おなりの2階にて 子育て心理学講座を開催します。 8月23日(金)には「おもちゃの広

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          人の性格は、なかなか変わらない。

          人の性格は、なかなか変わらない。 歳を重ねれば重ねるほど難しくなる。 でも、私の知る限りでは 自身が、生死を彷徨うような体験をしたり 大切な人の死に直面した時に 物事の捉え方や価値観が急激に変わることがある。 変わりたいと願っていなくても 変わらざるを得ない場合がある。 変わりたいと思いながらも変われない時は 本能的には変わりたいと 思っていないことだってある。

          人の性格は、なかなか変わらない。

          正義って怖い

          子どもの頃 兄が観ている仮面ライダーを 一緒に夢中になって観た。 仮面ライダーがバイクに乗って登場すると ワクワクした。 ショッカーを倒す格闘シーンもカッコよかった。 でも………大人になって 色々なことを体験し、学んだ今の私は 正義とか正義感って怖いなぁ…と思う。 子ども同士の正義感は可愛いと思う。 でも、正義のもとでは 相手を傷つけても良いとされているようで もしかしたら、自分の正義感は ただの思い込みや独りよがりかもしれないのに 堂々と裁いてしまうことは怖いのだ

          正義って怖い

          早期発見、早期教育は必要か?

          今日は、幼稚園の先生方に向けての 研修を担当しました。 タイトルは「発達障害理解」 多くの場合は 「発達に特徴のある子どもの関わり方」 という表現をしていますが 今回は教員の方が対象でしたので 捉えやすく「発達障害」という言葉を用いました。 研修の中で「早期発見、早期教育」について 「保護者が気がついていない場合は どうしたらいいのか・・・」という質問を受けました。 私は「気づかせてはいけません。」と即答しました。 自ら「気づく」ことは気づきですが 「気づかせる」こ

          早期発見、早期教育は必要か?

          褒めるって、上から目線?

          友人が「褒めるってさ! 上から目線だよね!」と憤慨していた。 なるほど…と思いつつ 褒めるか褒めないかというよりも 相手との関係性によるのだろうと思った。 何を褒められるか…よりも 誰に褒められるか…なのだ。 たぶん友人は対等だと思っている人 もしくは嫌悪感を感じた人に褒められたから 「上から目線」という感覚になったのだ。 ただ、褒めるには、やっぱり落とし穴があって 褒めすぎると、褒められるタイミングじゃないと 善い行いをしなくなってしまうことがある。 褒められるか

          褒めるって、上から目線?

          慣れる…というスキル

          虫が好きか嫌いかと聞かれたら 嫌いではないけれど苦手です。 でも、さすがに鎌倉の山間に暮らしていると 土が多いので普通にいろんな虫がいて 苦手だけれど「慣れる」という現象が起きます。 足を伸ばしたら軽く10cmくらいありそうな 大きな蜘蛛がいても「お!」とはなるけど 「きゃ〜!」とはならない。 ムカデがいたら「おおっ!!!」とはなるけれど やっぱり「きゃ〜!」とか 「ぎゃ〜!」とかもならない。 ヤモリなんかも当たり前。 夏になるとカブトムシが窓に ぶつかってきたりもす

          慣れる…というスキル

          命を輝かせる

          「癌はね、二人に一人が かかるって言われていたけれど 今は、二人に二人がかかる時代なんだよ。 ただ、治す力があるかないかだけなんだ。」 私が尊敬するドクターは、そうおっしゃった。 誰もが癌になる時代だと・・・。 もう一人のドクターはこう言われた。 「闘病っていう言い方をしますよね。 医療の上で闘うと言うと 負けは死を意味します。 でも命には必ず終わりがくるので そう考えると、私たちは生まれた時から 負けに向かっていることになります。 そんなのっておかしいですよね。」と。

          命を輝かせる

          「自信」や「モチベーション」に頼らない

          短所でもあり長所でもあるのかのしれないが 私は、さほど思慮深くない。 ぼーっとする時は、かなりぼーっとしているけれど 自分軸のような大事なことは意外とブレない。 ブレないので、すぐさま言葉にできる。 「軸」以外の ある意味、脳内の贅肉のような部分はあって それはテキトーなので、ゆる〜っとしている。 物事に対する深さも まあまあ大切だけれど、深掘りしずぎると 目指すものがなんだったのか見失うこともある。 自分軸っていうのは 「自信」や「モチベーション」に頼ったりはしな

          「自信」や「モチベーション」に頼らない

          あれから僕たちは

          あれから僕たちは何かを信じてこれたかな… 夜空ノムコウの歌詞で 私が好きなところは「僕たち」というところだ。 友達はさほど多くないと思っているけれど 様々な時代で「仲間」はいて その様々な時代を過ごした仲間たちが 今でも繋がっているような気がしている。 だから、立ち止まることなく 歩き続けられていると思う。 何かを信じながら・・・。

          あれから僕たちは

          必ずしも優しいお母さんでいる必要はない

          日本一幸せなお母さんを増やす! という理念を掲げている。 これは必ずしも お母さんが元気でいることや 優しくて機嫌良く 明るく過ごしているお母さんを 増やすことを目指しているわけじゃない。 日々の生活の中で ホルモンを初め、体調が不安定な時はある。 思い通りにいかないこともあるし 心無い言動に傷つく時もある。 そんな時に、無理に笑う必要はないのだ。 ちゃんと泣いていいし ちゃんと腹を立ててもいいし ちゃんと休んでいいし ちゃんと優しくなれなくていい。 笑えない時に笑

          必ずしも優しいお母さんでいる必要はない

          子育てにおける主導権

          我が家の子育てにおいて 二人の娘が幼い頃の主導権は私にあった。 大きなことを決める時は 夫に相談をして夫婦で決めていたが 日常的な細かなことは私に主導権があった。 これは、子どもを抑圧するとか 服従させるということではなくて 私が娘たちの要求に振り回されない 自分軸をしっかりと持つということだった。 例えば、公園で遊んでいて 娘が「まだ遊びたい」と言っても 帰る時は「帰る」と譲らなかったし 譲らないと決めたら、ぶれないので 娘たちも諦めが早かった。 今日はゆっくり

          子育てにおける主導権

          自分はどうしたいのか

          「お前はどうしたい?」 20代の頃、とても尊敬する上司が 私に質問をすることがあった。 色々と悩んでいると 「そもそもお前はどうしたいの?」と とてもシンプルな質問をされた。 学生時代は、先生が持っている正解があって 「自分で考えろ!」と言われつつも 結局は先生の期待通りの答えが必要だった。 答案用紙だって、誰かが考えた正解があって 私たちは、自分で考えるスキルを 多感な時期に、どれだけ養えたのか分からない。 そして、それは子育てにも言えることで 「そもそも親として

          自分はどうしたいのか