クラシックアレルギーはもう、ない

 ショパンコンクールをね、初めて見ているわけさ。今までの私は、ピアノは長らく続けているものの、クラシックではなくて現代に近い音楽ばかり弾いてきた。ピアノ用に編曲されたやつとかね。それで、「クラシックって、なにがいいんだろう?」って、勝手にライバル意識持っちゃってたのよね。

 クラシックってさ、なんかお堅い感じするじゃん?それがすごく苦手で、知らない人は門前払いって感じ?疎外感感じていた。なんだけど、「5年に一度らしいよ」ってふと知って、ショパンコンクールをYouTubeの生配信で見ていたら、この凝り固まっているのにふんわりと抽象的だった、イメージが変わったんだ。


 お酒飲みながら、何時間も見た。「この人のこういう所いいな」っていう感覚は曲を知らなくてもなんとなく感じられるから、そういう審査員的な楽しみ方してたら、何時間も経ってた。みんながね、おんなじ曲弾くこともあるんだよ。ショパンといえば!みたいな有名な曲でかぶることもあれば、今まで知らなかったのに、「この反田さんの二次審査の最後の曲、時々出てくる右手が宝石みたいだなあ。優しいのに強いっていいなあ」って新たな出会いに感動することもある。クラシック畑で育ってないから、これが適切な評価方法なのかはわからないんだけど、音楽をする人が魅力的に見えるかどうかは、曲が素敵に聞こえるのかとかなり類似性がある。「この人素敵!」って人の演奏した曲が必ずしも素敵ってわけではないよ。でも、「この曲、本当にいいなあ」って思った演奏に出会えると、その人が好きになっちゃうんだね。(わたしあの曲のあの瞬間から反田さん好きになったもん!)
 ショパンコンクールはどんな理念に則ってるのかわからないから、カリスマ性はいらない、求めるのは曲の忠実性のみ、っていう人もいるかもしれないけど。ショパンが生きていた時、「うわー、ショパンってこんなにすごいんだ!」って世間に与えた衝撃は、今生きている誰も知らないじゃない? なんか、わたしのなかでは結構その観衆の心にビビッとくる衝撃っていうのは、演奏の評価の基準に入ってもいい類いのものなんじゃないかなって思ってるんだけども。


 それで、まとめに入るんだけど。クラシックが、というより反田さんの弾いたショパンにたまたま出会って、衝撃を受けて、クラシックってなんだろう?ってまた考えてたんだよね。なにが、クラシック音楽を魅力的に感じさせる要素になってるんだろう?って。
 コンビニから帰ってた時に、(その時はただおいしいスイーツ買えて満足で、ショパンのことは忘れていたんだけど、)ふと、そっか、って気持ちがストンってなった。ワルシャワでのあの演奏後の拍手のおおきさ、ながさ、ブラボーをする人の気持ちは。今までクラシックが続いてきたことへの、絶対的な誇りに尽きるんじゃないかって。クラシック音楽には、何より歴史があって(だから【クラシック】なんだし)、それに対する誇りを、クラシックを聞く人は間違いなく持ってるなって思ったのだ。長くながーく続く音楽に対して、音楽そのものが良いとか悪いとか抜きにその歴史自体が、音楽の価値を裏付けていると考え誇りに思うということは、よく考えなくても直感でわかる当たり前のこと。(逆にそれが「クラシック好きは偉そう」っていう偏見に繋がる種なんだけども。)

 自分の中でクラシック苦手かもー、わかんないかもーって悶々としていた気持ちがあったんだけど、歴史への誇りなんじゃないかって思ったらスッキリした。なんかそれならわたしでもわかる気持ちだな、って。拍手とブラボーの声聞いてたら、いくら堅いイメージがあろうとも同じ人間なんじゃん、って、理解することを諦めないようになった。
 ショパン、YouTube、ショパンコンクール、反田さん、ブラボーの声を上げた人、みんなありがとう。

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