見出し画像

お久しぶりです、ニヒリズム。

久々に虚無感に包まれている。大きい地震があった。多くの人が死んだかもしれない。今はどうでも良くなってしまった。だってみんないずれ死んでしまうのだし。そんなことより俺にとって悲しいのは歌えなくなってしまったことだ。面白くない。歌いたい曲もないし、歌いたくなるような曲も作れない。能動的にアプローチしてみたつもりだったがだめだった。オーストラリア、タイ旅行も楽しくなかった。またこの感覚。人生の地図に"ああ、つまらなかった"という意味の黒色を塗りつぶしている感覚だ。オーストラリアで半年間音楽のできない状況におり、音楽へのモチベーションを少しながらでも持ち直していたと思っていたが、いざ帰国してギターを持って歌ってもまるで楽しくない。息をするように歌っていたあの頃の衝動、欲求は完全に消え失せた。サウンドクラウドに上げた自作曲もカバーもアカウントごと消した。こんなことをしている自分が恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなくなったから。そもそも歌もギターも上手くないのに一体全体どうやってその演奏衝動を保っていたのだろう?生命活動を行うための快楽物質がたりていない。幸せが快楽物資が出るか否かで決まるなら、誰が薬物乱用を否定できるのだろう?恋愛だって快楽物質が出るからその人といる時間を肯定できるのだろう。その快楽物資元である想い人を喪失したら中毒症状で最悪の場合死にいたったりするわけだ。馬鹿らしい。恋愛も法律で禁じたほうがいい。全ての快楽物質を遮断すれば良い。 
 正月から寝込んでしまっている。ビールばかり飲んでいる。どこに行く気にも何をする気にもなれない。もうギターを燃やしてしまおうか。さむいし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?