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純国産ワープロソフト「一太郎」に弟妹がいたのを知る人は少ない。

日本語ワープロソフト「一太郎」が、
発売されたのは1985年8月28日。
今から38年も前のこと。
読者の皆さんは、「一太郎」???
たぶん私を含めて全員マイクロソフトの
「ワード」をお使いのことと思います。

英語圏とは違い、日本語ワープロソフト
は、打ち込んだ文章を日本語変換しな
ければならないという技術的に高い
ハードルがあったが、「一太郎」開発元の
「ジャストシステム」は、長い文章を一気に
変換する「連文節変換」機能や頻出
単語が上位にくる辞書ATOK(エイトック)
により一人勝ち! その後10年以上も
ベストセラーに君臨し続けていました。

そんな「一太郎」に暗雲が漂い始めた
のは、1992年、パソコンのOS「マイクロ
ソフト Windows3.1」のリリース。
決定打は、1995年、ワープロ、表計算
プレゼンソフトがパケージになった
「マイクロソフト Ofiice」の発売。

ワープロ専門メーカーだった「ジャスト
システム」も、対抗商品として、
表計算「三四郎」、プレゼンソフト
「花子」を新たに開発、販売するも、
Windows OSが日本でも標準化、
圧倒的な資金力を持つマイクロソフト
には太刀打ちできず、日本語ワープ
ソフトの座も、「ワード」に譲らざるを
得なかった。

この間、パソコンソフトの業界団体の
職員だった私は、当時団体の会長
で、「ジャストシステム」代表だった
浮川和宣氏のマイクロソフトとの
戦いの日々を間近に見ていて歯が
ゆさを感じていたのを今でもリアルに
思い出します。 涙;;;

(2023.10.8 Vol.17)

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