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入院日誌|病と。⑦美しい人

入院20日目。
退院の日が26日に決まった。あと10日。

職場に連絡したら「キリがいいので復帰は2月から」と言われ、ありがたいやら拍子抜けするやらである。

今日は大学の同期が会いに来てくれたので、友達についての話。

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同世代の友人と話していると、どうしても結婚や仕事の話になる。

そろそろ結婚しそうな人もいるし、転職を考えている人もいる。

26歳。みんなどこかの分岐点。

人生は容赦なく枝分かれしていくから、わざわざ会おうとしないと会えない人ばかりになってくる。それでも会おうとしてくれる人は、本当にずっと大切にしたいと思う。

20代になってから、友達の数は良い意味で減った。

今でも会いたいと思う人には、どこか共通の「美しさ」があると思う。そして、私が「美しい」と思う人は、その人らしい生き方を模索していたり、「あなたを大切に思っています」という意思表示ができることだったり、自分と他者への態度が素敵な人が多いような気がする。その人の中の「美しさ」に触れたくて、どうでもいいことをラインしてみたり、「会おうよ」と連絡してみたり、するのかもしれない。

この前書いた、強さについての話を読んだ友人が、「誰かに『強いね』と言うとき、心の中にある眩しい光のようなことを言っているのかも」と応えてくれた。私が「美しい人だなあ」と思うとき、そこに見ているものはたぶん、彼女の言った「光」に似ている。出会う人をあたためたり、照らしたり、あたためたりする光。

もちろん、美しくない人もいる。あるときは、わざわざ「会おうよ!」と言ってきたので、喜んで遠くまで会いに行ったら、会うなりパソコンを開いて仕事をし始める人がいた。そういう気遣いの要らない関係ならいいが、久しぶりに会ってそれはないだろう。その日は苦笑を噛み殺しつつ「え?本当に私に会いたいと思ってる?なんで声かけたの?」……と頭にハテナが浮かびまくっていた。

好きな人に「あなたが好きです」「一緒にいたいです」というメッセージを送り続けることは、エネルギーがいる。でも、特に利害関係のない人同士が会うのに、これ以上の理由なんてない。逆に、そうでなければ会う理由はひとつもなくなってしまう。

私はもともと人に無関心な方だし、今でも決して思いやり深い人間ではないと思っているけれど、「会いたい」と思った人に「会おう」と言うこと、そして「会ってくれてありがとう」と伝えることだけは、忘れないようにしたい。

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毒にも薬にもならない文章ですが、漢方薬くらいにはなればと思っています。少しでも心に響いたら。