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入院日誌|病と。⑥息を吐く必要

入院16日目。
薬がよく効いてくれたらしく、ようやく寛解(症状がほぼなくなって正常な状態になること)に達した。誕生日までには退院できそうだ。

でも、4人部屋の他のベッドには、もっと大変な人もいて、素直に喜べない。みんな色々あるのだ。色々。

そんな中でも、私はワクワクしている。

人生の動き出す音が、遠くかすかに聞こえる。

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初めて公の媒体に、文章を書いた。

ひっそり(?)ライターデビュー。

子どもの頃から、算数が死ぬほど苦手な代わりに、言葉に関わる科目が大好きだった。国語も英語も古文も楽しかった。文章を書くのが好きになったのは、たぶん読書感想文のおかげだ。

中学生のとき、読書感想文が学内で賞をもらった。あれよあれよという間に、私はなぜか終業式の日に全校生徒の前でそれを読まされる羽目になった。何度も練習して臨んだ当日、私は私の書いた文章を声に出して読んだ。意外に落ち着いていたことと、大舞台に少し気持ちが昂っていたことを覚えている。聞いていた人たちが「感動した」とか「あそこが良かった」とか、口々に感想を言ってくれた。なんだか分からないけど、とても嬉しかった。

それは、「私にも誰かの心を動かすことができる」と感じた初めての体験だった。

単純なので、それから後、私は文章を書くのが得意なのだ、と思いこんだ。誰かに「認められた」経験というのは、本当に強いと思う。でも本当のところ、得意ではないのかもしれなかった。

たしかに、書いた文章を褒められるのは嬉しい。でも、最初に書く文章はいつもボロボロだった。何度も推敲して、書き直して、一回全部書き直すくらいの直し方をして、ようやく納得できる文章になった。それは、その後書いた読書感想文でも、小論文でも、今書いている文章でも同じことだ。だから、「文章を書くのが得意」というのは、実は疑わしい。

それでも、思うように書けたときは、他のどんな瞬間よりも「すっ」とする。

私の書いた言葉で誰かが喜んでくれたり、感動したりしてくれたら、他のどんなことよりも嬉しい。

それは昔から変わらない。

だから、このブログだって誰かに見せるために書いているわけじゃないけど、やっぱり誰かに見てほしいのだ。自己顕示欲ともちょっと違う。少なからずそれはあるけど、でも違う。

息を吸ったら吐かなくてはいけない。

次の息が吸えない。

私は吸った息を吐きたいだけ。

普通に息をするよりも、ちょっぴりエネルギーが要るけれど。

人からもらってきた言葉がたくさんあるし、無意識のうちに吸っている言葉もたくさんある。そろそろ吐かないと、私は破裂してしまう。だから、自信がないとか言っていられない。

それくらいの、必要性を感じてしまう。

これが仕事になったらいいな、と思うけど、それはそれで苦しいのかもしれない。誰も認めてくれなくて、息ができなくなったらどうするんだろう。

でも、何もしないよりはマシだ。

少しずつでも私は書く。

これからもきっと。

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おしらせ

ReaJoyという読書メディアに、socaというペンネームで記事を書くことになりました。

書評や本にまつわる場所のあれこれを書いていく予定です。

以後お見知りおきを〜。






毒にも薬にもならない文章ですが、漢方薬くらいにはなればと思っています。少しでも心に響いたら。