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小さな決心

昨年末の入院に始まって、色々と身体の不調が続き、気持ちもなんとなく沈みがちになっていた。今でも決して本調子とは言えない。私らしくもなく、つい後ろ向きなことを考えてしまう。大好きな人たちから少しずつ力をもらって、ようやく立ち直ってきたところだ。

そんなことがきっかけになって、今日、小さな決心をした。

それは、病気との向き合い方を変えるということ。

私は「難病」と呼ばれる、原因や治療法がよく分かっていない病気を持っている。副作用もたくさんある薬を使いながら、何とか抑えてきたけれど、またいつ再発しないとも限らない。この前の入院で新しい薬を使って、それはよく効いてくれているようだけど、やっぱり体力や免疫力が落ちているのを日々感じる。

すごく不自由なことや苦しいことがあるわけじゃないから、自分では病気があることをそんなに気にしていなかったし、みんなと何も変わらないと思っていた。病気なんて関係ない。人と同じように働いて遊んで、他の人以上に人生楽しんでみせる。病気のことなんて普段はほとんど忘れてるし、それでいい。ほら、今日だってフルタイムで働けた。楽しくお酒を飲んで、たくさん遊んだ。ほらね、私は元気。

今までのスタンスはこんな感じ。

でも、社会に出て働き始めると、そこには高い壁があった。もちろん医療費は高額になるし、今の会社にも病気が理由で正社員としては雇ってもらえなかった。周囲からの誤解やお節介に傷つくこともたくさんあった。本当は病気なんて忘れて生きたいけど、世間はどうやらそれを許してくれないらしい。

この病気とは一生の付き合いになるだろう。なかったことにはならない。だから、ちゃんと認めてあげたい。自分の弱さを認めて生きたい。

そう思った。

***

突然だけど、「ヘルプマーク」というものを知っているだろうか。

東京都福祉保健局のHPによれば、

義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマーク

だそうだ。

私はと言えば、このマークの存在は知っていたけれど、自分が持つのはなんとなく躊躇していた。自覚症状があまりない、というのもあるし、自分が人と違うことを認めるようで嫌だった。

それが昨夜、ふと「ヘルプマークをもらってみようかな」と思いついたのだった。今日、役所に行ってもらってきた。そして、それを鞄につけて仕事に行ってみた。

↑これがヘルプマーク。

今日一日の心情の変化は面白かった。

最初は、自分がひどく弱くなったような気がして、心許ない気持ちになった。「私は社会的弱者です」というレッテルを自らつけてしまったような、何とも居心地の悪い気分だった。

その一方で、何かに守られているような安心感もあった。それまでは後ろめたくて座れなかった優先席。倒れそうに疲れていても「座らせてください」とは言えず、かといって床に座り込んだら迷惑だし、と必死で立っていた電車。マークをつけて優先席に座ってみたら、気持ちも身体も楽になった。仕事量をセーブしたり、しっかり休憩を取ったり、という心がけにもつながった。

私の病気は、たしかに自覚症状はほとんどない。だから、ヘルプマークなんて目立つものをつけていていいのか、躊躇いがないと言えば嘘になる。でも、疲れやすかったり、感染症にかかりやすかったりすることも、病気の影響で右目がほとんど見えないことも、疲れをためると再発して一か月以上入院しなければならないことも、周りには見えない。自分にも見えていなかったのだから当然だ。

だから、せめて自分で自分を大切にできるように。

この赤いマークに頼ってみる。これを見た周りの人の善意に頼ってみる。

弱さを受け入れたら、今よりもしなやかに強くなれるかな。

大したことじゃないけど、私にとっては一歩前進。憂鬱な日々の中で、少しでも自分を変えようと思えたことが嬉しかった。私の心にも、世界にも、春が訪れつつあるのかもしれない。


毒にも薬にもならない文章ですが、漢方薬くらいにはなればと思っています。少しでも心に響いたら。