やめること
前回noteを書いた頃から色々と具体的に動いて、そのときに書いたようなことが、少しずつ実現できるかも知れない。
会社をやめる、と、それにともなうモロモロ
6月に転職することが決まった。
障害者福祉に関する雑誌をつくる仕事をします。
私は難病と呼ばれる病を抱えていて、そのために何度もままならないことに直面してきた。認めたくなかったけど、その弱さとか生きづらさを受け入れたら少し楽になった。今度は、受け入れたその先へ。
障害者福祉というのは未知の分野で、これから勉強しなきゃいけないことが山ほどあるけど、新しい研究テーマが見つかったようなワクワクを味わっている。
退職交渉は、びっくりするくらい円満じゃなかった。会社にとっては不都合だから当然なんだけど、めちゃくちゃ怒られた。上司からは「あなたは世間を知らない」「編集には向いてない」「注意してあげる人が必要」と、トリプルウルトラ余計なお世話をちょうだいした。
こういうのを言葉通りに受け取ってしまうのは私の悪い癖だけど、あなたの知ってる「世間」って何のことなんですか、と聞きたかった。世間なんてものは、その人の限られた行動範囲で経験された世界にすぎないのに、自分は世間というものを知っているから教えてやろうなんて、すごい傲慢だなと思う。それが一般的な「社会」や「常識」だというなら変えたいし、変えるために仕事がしたい。だから辞めることにしたんだけど。
辞めると決まってみると、今まで自分が思っていた以上に気を遣っていたことに気がついた。「もう、この人たちの気に入られようとしなくていいんだ」「もうモチベーションを無理やりどっかから引っ張り出してこなくていいんだ」そう思ったら、肩の力がスーッと抜けて楽になった。
今となっては、愛されたまま円満退職したいなんてエゴだったな、と思う。でも、他人の気持ちや行動はコントロールできないし、それは他人の問題であって、私にはどうすることもできない。私にできることは、自分にとって最善の道を選ぶことだけ。それで他人にどう思われようと、引き受けるしかない。
とは言っても、やっぱり会社の人たちが好きだったし、本当にありがたい環境だったし、私を拾ってくれた職場には心から感謝している。
無理をするのも、無理をしないのも、やめる
私の体は、ストレスや疲れが容量を超えると、病気という形でSOSを発する仕様になっている(たとえ本人に「無理をしている」という自覚がなくても)。
だから、できるだけ慎重に、無理しないように、ゆるゆると生きられたらいいのだけど、それはそれで苦しいことなんだよね。頑張れない、無理できないと言い聞かせ続けることは、頑張る自分や本気でやりたいことを否定してしまうことだから。
かといってちょっと突っ走ると、体の方が活動をボイコットしてくる。そうなったらもう、この世界からそっと遠ざかることしかできない。
だから、今のところの結論としては、「無理をする」のも「無理をしない」のもやめようと思っている。ありていな言い方をすれば、自分のペースでいいじゃん、ってこと。頑張りたくないときがあってもいいし、ちょっと無理して頑張りたいときがあってもいい。一日の中でも、一週間の中でも、一年の中でも、気分には波がある。そのときの自分が一番心地よいペースでやっていけばいいじゃん。頑張ることも頑張らないことも否定しなくていいんじゃないの?ってこと。どっちもやめるっていうか両方ありっていうか。
今度の選択が吉と出るか凶と出るか分からないけど(やっぱり私のような人が会社で働くことにはリスクが伴うし)、私の中には「どうしても『今』じゃないといけない!」という確信があった。そんなに「一大決心」のような感覚はなくて、前から決まっていたときが来ただけのような気もしている。
今度はちょっと、頑張ってみたい。
毒にも薬にもならない文章ですが、漢方薬くらいにはなればと思っています。少しでも心に響いたら。