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母であること②

「ふたりでいきたかったの!」

私はあまりわがままを言う子ではありませんでした。
けどたまに、こうしたかったのに!という気持ちが溢れて泣いてしまうことがありました。

母は交友関係が広く、どこかに出かけるのはほとんど友人と一緒でした。
小3とかそんくらいだったと思います。その日も、母は電話で友人とお話ししながらお出かけの準備をしていました。
私はなぜだかその日に限って無性に、母と二人でお出かけしたかったんです。けど、それが中々言い出せないでいた。「じゃあ、またあとで」と笑顔で電話を切った母に、私は小さな声で「…ふたりがよかった」って言いました。
急に言われた母は、キョトンとしていたように思います。「ん?なに?」と。
私は伝わらなかったことに憤慨して、「ふたりでいきたかったの!」と涙ながらに大きな声を出しました。

母はハッとしたのか、すぐに電話を掛け直して、今日は私と二人で行くねって、相手の友人に断りを入れていました。
その間、私はとっても居心地が悪かったことを覚えています。それと同時に、とっても嬉しい気持ちになっていたのも、はっきりと覚えています。

とても複雑で、不思議な気持ちでした。
今でもよく思い出します。


私は、娘を家に残して撮影や勉強会に出かけることがあります。
もちろん主人に預けて、ですが。
「ママ、どこにいくの…」
たいてい朝早いので、起きたての娘は寝ぼけ眼で追いかけてきます。

私が入院していた時のことを思い出すのかどうかはわかりませんが、「おいてかないで」「いなくなっちゃいやだ」と泣かれることがあります。
その度に、胸が締め付けられます。

ああ、こんな小さな我が子を泣かせてしまっている。

この笑顔が曇ってしまわないようにと思ってはいても…

こういうことがあるたびに、冒頭の過去の記憶がフラッシュバックします。

状況も年齢も全然違うけど、ギュッと締め付けられるような寂しさはきっといっしょなんじゃないかって思います。


娘は1歳のときから保育園(こども園)に通っています。
パートに出るため…いや、私の精神的な問題の方が大きかったんです。
無理に仕事なんかしなくても良かったんです。

けど、自信がなかった。

仕事に逃げたかった。

娘とずっと向き合うだけの気持ちの用意と覚悟と余裕が、私にはなかった。


私の母も、ずっと仕事をしていた人でした。
旅行もたくさんしていたようです。あとになって、写真を見てはじめて知りました。

そこには私の知らない母の笑顔がたくさんありました。

話したいことがたくさんあった気がします。
けど母は、友人と出かけることが多かった。だから、べったり甘えることができずにいて、鬱憤が溜まっていたんだと思います。

今の娘に、同じ気持ちにさせてはいないだろうか。
自問自答が止まりません。

私が娘の母であると胸を張れることを、してやっているだろうか…。

つづきはまた明日。またね。


M-design ふじの まや


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