たとえばこんなふうに

追記)
二本の電話が僕のこの問題を解決に導いてくれた。嬉しい。

結果から言えば、自分が愚痴のようなものを話題として選択してしまうということと、愚痴的な話題が始まった時に自分も話題に乗っかって愚痴をこぼしてしまう。こういう習慣によって僕が苦しめられていると知った。

つまりこれからは上記の事柄に注意を向けつつ生活していきたいと考える。

追記2)あと自分は趣味人であるので、基本的に愚痴という話題にたどり着くことがないと知った。つまり(例えば作品に対する指摘は幾分あるにせよ)面白かった事柄に関して話すことが圧倒的に多く、またそれらについて話すために基本的に悪態を吐く回数が少ないのではないか。単純に悪口って楽しくないので言わないという可能性も大いにあるが。この辺りはまた検証していきたい事柄である。

ここまで)
何だか最近愚痴っぽくて辛い。本来他人の悪口なんて思いつくことも多くなかったけれど、最近いろんな人から悪口っていうか愚痴を浴びているせいか自分も愚痴っぽい。(他人のせいにするのはなんか釈然としないけれど、外的要因は大きいと感じる)

確かに最近自分の在り方とかで悩んでいたり、自分ってどうなるんやろうなぁって感じで定まらない感じとか落ち着いてない感じが相まってそうなっているのかもしれないけれど、もっとなんかこう幸せな感じを味わいたいなと思う。(揺らぎは大いに歓迎するけれど、沈み込む期間が長かったりすると少し辛く感じる)

僕は割と、いろんなものへ目移りするタイプだと思うけれど、どの趣味でもだいたい救われるタイミングがあって、何とかここまでそうやって生きてきたように思う。

だけど最近はどれも何だかしっくりこなくて、(趣味人であることが功を奏して?)なんだか人に褒められたりもする(すごいねとかオンリーワンだねとか)だけれど、この釈然としない何かを僕自身が解決しないときっとどんどん苦しくなるんだろうなって思ったり思わなかったり。

今書きながら思ったけれど、やっぱり自分は優柔不断なんやな。無理難題を押し付けれて説いてやるってヤキモキしている時間も僕はとても大好きだなぁって思ったり。

早く働いてしまいたいとか、何か定まっているものへ執着していたいという欲望だけが僕の中に堆積して、何だかなぁとなっているような不思議な心地を味わっている。

あまりオチもつかなかったし何だか暗い気持ちになってきたので、コンビニにシュークリームを買いに行って銭湯でゆっくりお湯に浸かりに行くことにする。