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今度という日はない話

僕はいわゆる社交辞令ってやつが苦手で、言うからには実現したいし実現させる気がないことは言いたくないタイプだ。
逆に社交辞令を言ってしまうタイプの人のことは理解・尊重はするけどその辞令に返事はあまりしないようにしてる。
というのもそこで温度差があることもあるしそのミスマッチは悲しいから。

そんなわけでタイトルの話になるわけど、まぁこんな表現は散々使い倒されてて今さら噛んでもなんも味がしない話だよね。
でもこの話も社会がある特異点を迎えてから言葉の意味合いというか重さが変わってきたよなと思う。
検索避け的な意味で表記は伏せるけど世界的感染症の例のアレよ。
世界で例のアレが流行ってからは日常が奪われていろいろ考えちゃうよね。

結構いろんな行きたいなやりたいなと思ってた場所や事に関して、すっかり身動き取れなくなったよね。
自分が身動き取れないのはまだ自己判断の範囲ではあるけど、そもそもイベントなんかは中止も増えたりしてさ、本当に無くなっちゃうことも多いよね。

こうなってくるといよいよタイトルの通り、また今度が実在するかが怪しくなるなぁって実感する。
僕も実際に行きたかった展示があったんだけど、先延ばしにしてたら例のアレ事変が起きてそれどころじゃなくなった。
この後悔はしばらく引きずるだろうなーって思ったりする。

だからこそ一時的に数字が落ち着いてた時はある程度予定入れてやりたいことをやったりするようにした。
できる時にしないと次があるとは限らないからね。
ただこれを「気の緩み」とか「油断」と評価されるのはちょっと勘弁願いたいよなー社会、と思う。

そもそも当初から欧米に倣ってハンマー&ダンスって表現してたじゃないのって。
波の周期みて付き合ってくんでしょ?初志貫徹しようよ、と思ってしまう。
数字のリバウンドをダンスのせいにしてたらハンマー&ハンマーだよねもうザコシショウみたいな話だ。
そもそもそれはそう言う覚悟で社会動かしてたんじゃないんかいっていう。

真面目な話をしてしまったw
ともあれ、また世界は冬きたるってことでハンマーの時期になってしまったわけで。
やっぱまた今度って先送りにしなくて良かったなぁといろいろ感じる。
次のダンスタイムはいつになるかねぇ。足腰鍛えとこか

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