ファブとの出会い方ーまちの新しい広場を作る

farmtory-labの幽霊部員の北村です。東京都23区の左端、武蔵野市のよこにある西荻窪に根が生えたように暮らしていて、ほとんどfarmtory-labには行けていないのですが、オンラインの活動にはなるべく参加していきたい所存です。

ファブという言葉にぼくがであったのは、farmory-labがその名前になる前でした。自分のアンテナに引っかかったわけではなく、会社の後輩がなんかすごい機械をもってるようだぞっていうことで、酒を飲みに行ったわけです。

正直、いまでもファブっていう言葉がなんとなくわかっていない気はするのですが、どうもファブカフェってのがあるぞ、ファブカフェってところには、レーザーカッターとか3Dプリンターとか、なに?食べ物にも印刷できるのすごいね、みたいな何かだなーという感じです。

比較的新しいものが好きなこともあり、そういった機械にひかれて、なにかやりたいなーとぼんやり思いました。

でも、他の人達よりはそのやりたさは少なかったのかファブカフェにいってみることはあっても、そこで機械を自分でうごかすことはありませんでした。できると思っていなかったのかもしれません。

farmtory-labができて、そこに知っている人がいたことから行ってみて、そして初めて機械をさわりました。自分で持っていたデータが、モノになっていくすがたになんだかワクワクしました。機械の使い方は、教えてもらったけれども、まだ自分でできるような気がしませんでした。

機械の使い方が多少イメージできるようになって、それでもぼくは、時間で使える機械を借りに行くことはありませんでした。作ることを目的にしたときに、作ることにかかる値段について考えてしまうのです。機械を貸してくれるところは、1時間いくらといった料金で貸してくれる。しかし、ぼくはデータを作ることにも、機械を使うことにも習熟していないという意識があり、高くなってしまうなーと考えたのです。

ぼくがファブ(とよんでるぼくの概念が正しいのかわかりませんが)と出会えて、そして手を動かすところまでいったのは、幸運な偶然でした。

farmtory-labで、やってもらうのではなく自分でやれるようになりたいとおもって、作られた資料でわからなかったところを書き足してみて、すこしそれでできるかもという気になってきました。

farmtory-labでは、作った成果物という観点ではない2つの楽しみがありました。1つは、できることが増えるわくわく感、2つ目は人です。目の前でやっているのを見て、おそわって、はなして、他の人のやりたいことを知って、またはなして、それはとても楽しい経験でした。

その後、自分のすんでいる西荻窪に機械を貸してくれる施設があることを知り、近くのことを知りたいという動機とあわせて、西荻でいっしょにあそんでいる仲間たちとそこの施設の講習を受けに行きました。ここでもまた、経験自体を楽しみに行くことができた。作るためのコストという考え方をしないですんだのです。

ここでの経験もやはり、farmtory-labでのそれに通ずるものがありますが、今度は自分が知ったことを人に伝える楽しみが加わりました。

そのあと、まちで出会った人が、レーザーカッターや3Dプリンタを持っていて、どうもそんなにつかってなくてその場所をもっと使ってほしいらしいぞということを知りました。

ぼくは、ファブという言葉のまわりにある機械たちがすきだし、使うイメージがわかるに従って、使いたいなとおもうシーンが増えてきたので、他の人達もそうなるといいじゃないかと考えるわけです。

でも、なんせ自分がこれだけ自分からやらなかったので、自然と人がやるようになるイメージがわきませんでした。(あ、もちろんそういう人たちがいるということはわかりつつ、どっちかっていうともっとそうじゃない人たちに使ってみてもらいたいという表現のほうが適切なのかも)

で、なんかそのへんにあって、知ってる人がさわっていたら便利なのにっておもったんです。

目的のために道具の使い方を覚える人もいれば、道具があってそこからそれを使い始める人もいる。

公園でボールを蹴っている子にまぜてもらってサッカーに出会うように、強い目的がなくても気軽に行ける広場にいったら、なんかちょっと出会える。ファブがそんなところにあってほしいと思います。

まあ実際外においたら機械はこわれてしまうだろうし、屋内をだれもに開放しておくことも難しいです。雨がふらなくても、まちがった使い方やトラブルでだれかが機械をこわしてしまうことだって心配です。

でも、強い目的がない人でも来てみてほしい。どうしたらいいかということに対するちょっと足りない答えは飲み会でした。機械の横でおさけのんだりおしゃべりしたりしよう。使う目的が決まってなくても来られるようにしようと考えました。

やってみると、そこにいくから作ろうみたいなものがでてきたり、そこでいっしょに飲もうって人を誘ったりして、これは楽しく続けられそうだなという感じがします。機械があると、初めての人があってもなんとなく安心して喋れたりもするんですよね。話すことが目的ではなすよりも、だれかがなにかしてることが見えたりてつだってもらったりしながら話すほうが楽ちん。

なんとなくそばにあって、道具にさわれる。やってみたくなったらおしえてくれる人がなんとなくいる。そんな広場がまちにあるといいなとおもいます。

ほんとうに、誰もがこれる、何の目的もなくてもいられる広場になることにむけて、なんとなく行ける場所を増やして、なんとなく行く人を増やして、そんなふうにしていつかあたらしい広場をまちにつくりたい。



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